「僕は日本兵を殺した」、最期を前に語られる罪悪感や後悔… 「戦争は繰り返してはいけない」と言う前に、知っておくべきこと
「平和(peace)ってたぶん、『やっぱり平和がいいよね』とスローガンのように唱えたり、信じているだけではダメで、アクションを伴わなければいけない。動詞的であることが重要だと思うんです。似たような言葉では、『愛(love)』がありますね。文法上は名詞でもあり動詞でもある。でも『love』って現実世界においては動詞として現れるものだと思うんです。要するに、愛情があれば、それは何らかの行動として現れる」 「だから『peace』もアクションなんだと思います。それは選挙へ行くことかもしれませんし、『これはおかしい』と声を上げることかもしれない。あるいはデモへ行くことかも。とにかく、ただ座って文句を言っているだけでは何も解決しません。たとえ小さなことでも、一人ひとりにできる行動があると思ったんです。特にその行動は、日本国内のSNSでよく見られるような匿名空間ではなく、公の場で行われるときに大きな意味を持ちます」 現時点で、佐藤さんが自分の役割だと考えたのは『戦争の歌がきこえる』を記すことだった。 「英語では、役割を担うことを“play a part”と表現します。playには「奏でる」という意味もありますが、私にとってはまさにそのイメージです。オーケストラでは、団員がそれぞれ自分のパートを弾くからこそシンフォニーになる。社会ってそういうものですよね。個人単位で見たら自分のパートは小さなものかもしれませんが、みんなで役割を分担すればひとつの社会でシンフォニーが生まれる」
戦争体験は神話化することなどできない
ニューヨーク・タイムズ紙は今年、『Beyound World War 2 We Know』と題した企画を連載している。 「これはアメリカ人にとってはある意味、すごく居心地が悪い企画です。市民をターゲットとした東京大空襲や強制収容所から帰ってきた日系人のその後の生活、国内で人種差別を受けながらナチスと戦った黒人兵士たちなどにも触れられています。今まであまりスポットライトが当てられることがなかった人々にフォーカスする特集です」 「戦争から75年が経った。全ての人の物語を網羅することはできなくても、これまで見てこなかった、あるいは見えていなかった側面を知ることは重要だと思うんです。それが本当の意味で『歴史を学ぶ』ということではないでしょうか。そして、歴史をちゃんと学べばこそ、過去の教訓を活かし、今日の問題を解決することができるはずです。逆にそれを行わなければ、過ちを繰り返す可能性がある。つまりそれは、最終的には、自分たちのための行動でもあるのです」 日本においても、「戦争は繰り返してはいけない」とずっと語り継がれてきた。その多くは、「これだけ多くの日本人が犠牲になったから、繰り返してはいけない」というニュアンスを含んでいる。