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J復帰は都落ちか? 苦戦中の 海外組が見習える先人の「出戻り」成功例

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◆東京五輪で見たい世界のサッカー美女8名>>  かつては特別だった海外移籍が、すでに当たり前のものになって久しい。 【写真】小野伸二が天才でなくなった日  今夏も、FC東京の橋本拳人がロストフ(ロシア)へ、横浜F・マリノスの遠藤渓太がウニオン・ベルリン(ドイツ)へ、シーズン途中にして移籍を決めた。優勝を狙うJクラブにとっては手痛い戦力流出だが、こうした自体ももはや驚くことではない。  加えて、近年では海外移籍の低年齢化が進み、Jリーグでの活躍をステップに海を渡る、という"段取り"すら踏まない選手も増えている。  日本代表(A代表)において、海外組が大勢を占めるようになったのは言うまでもないが、今では五輪代表(U-23代表)にしても、海外組抜きのメンバー編成は考えにくくなっている。  とはいえ、海を渡るすべての選手が成功を手にできるわけではない。海外組増加の一方で、思ったような出場機会を得られず、悶々とした日々を送る選手も少なくない。  武藤嘉紀(ニューカッスル/イングランド)、堂安律(PSV/オランダ)、中島翔哉(ポルト/ポルトガル)など、日本代表での実績がある選手でさえも、厳しい現実を突きつけられている。  もちろん、少々の挫折を味わおうと、それもまた成長の糧ではある。気が済むまで、海外に身を置き続けるのもひとつの選択だろう。  しかし、国を越えて移籍することがこれだけ一般化したのである。ならば同時に、海外組のJリーグ復帰を"都落ち"と見なしたりせず、もっと当たり前に受け入れられていいのではないだろうか。  実際、過去の歴史を振り返れば、海外移籍を経験した選手が、Jリーグ復帰後に目覚しい活躍を見せた例は少なくない。

たとえば、名波浩。  ジュビロ磐田の黄金期を支えた左利きのプレーメイカーは、1999年夏にイタリア・セリエAのベネチアへ移籍した。  在籍は1シーズンのみ。リーグ戦出場は24試合と悪くない数字を残したが、出場時間が短い試合も多く、このイタリア挑戦は必ずしも成功裏に終わったとは言い難い。  しかし、イタリアで辛苦を味わった名波は、自身の特長を発揮しながらも、周囲の選手を自在に操るプレーに磨きをかけていた。  復帰した磐田では、2002年のJ1完全優勝(2ステージ制覇)をはじめ、多くのタイトル獲得に貢献。日本代表でも、優勝した2000年アジアカップでは出色の働きを見せ、大会MVPに選ばれている。  当時のフィリップ・トルシエ日本代表監督からは、1999年コパ・アメリカで惨敗を喫した際には「一生リーダーになれない」と酷評されたにもかかわらず、2002年日韓共催ワールドカップでは、右膝のケガを抱えていながらメンバー入りの可能性が探られるなど、絶大な信頼を寄せられるまでになっていた。

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