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【名作シューズ列伝】メンバー落選で“幻”となった五輪モデル。アイザイア・トーマスの「ASICS GEL-SPOTLYTE」

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THE DIGEST

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!  【動画】足を痛めながらも第4Qだけで25得点!勝利への執念を見せたトーマスのハイライト!  初代ドリームチームのシグネチャーモデル第10弾、本編15箱目は、アイザイア・トーマスがメンバーに選ばれていれば“着用するはず”だった幻のオリンピックモデル。「ASICS GEL-SPOTLYTE」(復刻版)のお話です。  1961年、イリノイ州シカゴで9人兄弟の末っ子として生まれたアイザイアは、3歳の時に父親が蒸発し、当時治安が悪かったシカゴで母親に女手ひとつで育てられました。セントジョセフ高に進学したアイザイアはメキメキ頭角を現わし、インディアナ大に進学。1年時には、モスクワオリンピック代表に選ばれるほど成長を続けましたが、西側諸国のボイコットで不出場に。今思えば、この頃からオリンピックとは縁がなかったのかもしれません。  翌年NCAAトーナメントでチームを優勝に導き、最優秀選手を獲得したアイザイアは、81年のドラフト1巡目2位でデトロイト・ピストンズに指名されます。  本人は地元球団のシカゴ・ブルズ入団を希望していましたが、地元に近いミシガン州のピストンズに入ったことで、その人気は衰えませんでした。しかしシカゴの英雄は、数年後に“バッドボーイズ”ピストンズの総帥としてファンから嫌われることになるのです。  当時の様子を知りたい方は、94年に公開された「HOOP DREAMS」というドキュメンタリー映画をオススメします。同作には母校であるセントジョセフ高が出てきたり、彼に憧れる主人公がいたりと、日本で伝えられるアイザイア像とは違う一面を知ることができます。  入団時にピストンズをロサンゼルス・レイカーズやボストン・セルティックスのようなチームにすると目標を掲げたアイザイアは、ルーキーイヤーから平均17点、7.8アシストをあげ、オールスターにも出場するなど大活躍。  その後チームはビル・レインビア、ジョー・デュマース、デニス・ロッドマンらの獲得に成功し“バッドボーイズ”を結成します。  アイザイア自身も順調に成長を続け、84、86年のオールスターではMVPを獲得。85年の球宴でもチーム最多の22得点をあげますが、同大会でかの有名な“フリーズアウト事件”が起こります。  イーストの先発ガードを務めたアイザイアは、ガードコンビを組んだ当時ルーキーのマイケル・ジョーダンに意図的にパスを出さなかったのです。本人はのちに「他にもスーパースターがいる状態でジョーダンばかりにパスを回すことは出来なかった」と述べていますが、この行為がジョーダンの怒りを買い、92年のドリームチームのメンバー落選につながったのです。

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