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永井美奈子&馬場典子対談 日テレはなぜアナを育てられるか

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NEWS ポストセブン

 1988年に起きた「女子アナブーム」の火付け役の一人でもある日本テレビの永井美奈子(55・1988年入社)と、飾らない人柄と確かなアナウンス力で人気を博した馬場典子(46・1997年入社)。共に、日テレ発の“アイドルグループ”メンバーとして活動した共通点を持つ2人(永井=“DORA”、馬場=“BORA”)が、当時を振り返った。 【写真】馬場典子ら「BORA」の3人が膝上サンタ服で踊る姿

馬場:永井さんの代は当たり年、まさに伝説の代ですよね。関谷亜矢子さんに福澤朗さん、そして横(他局)を見れば八木亜希子さんや河野景子さんがいらして。

永井:フジテレビは「花の三人娘」の年。その当時、フジテレビは華やかだったけど日テレは封建的でね。人事部長からは「お前を取るのは冒険だった」って言われたのよ(笑い)。

馬場:でもその9年後に入社した私たちの間では「永井さんの代から採用要項の欄に“容姿”が入るようになったよね」と言われていたくらい、日テレアナにとって節目となった方ですよ。

永井:そうなの(笑い)?

馬場:私なんて永井さんのように明るくて華やかなタイプじゃなかったのに、女子アナブームの名残があった若い頃は仕事でキャピキャピした感じを求められて戸惑ったこともありました。

永井:私としては真面目にやってきたつもりだったんですけどね。関谷は研修時代から読みも上手く1年目から番組に出ていましたが、私は番宣の専属のようになっていました。3年目でやっと『NNNニュースプラス1』に抜擢していただいたけれど技量が足りずに降ろされてしまって。その後は1年間ほど『THE・サンデー』の絶景コーナーのみ。実は入社から4年間は下積み期間だったようなものです。

馬場:日テレは上下関係もしっかりしていましたし、サポートでスポーツ実況の男性アナの資料集めなどをする「サブアナウンサー」など下積み仕事も多いですよね。その分、足腰を鍛えられた気がします。

永井:本当にそう思う。先輩は仕事には厳しかったけれど、本当に救いとなるお言葉をいただくことも多かった。私が新人の頃、なかなかレギュラー番組につけなかった時に小池裕美子さんが「助走が長い飛行機は長く飛べるから」と言ってくださった時は涙が出ました。

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