<私の恩人>藤山扇治郎 喜劇王の三世、中村勘三郎さんは何でも教えてくれた
喜劇王とも呼ばれた故・藤山寛美さん(1990年没、享年60)の孫・藤山扇治郎さん(26)が11月、寛美さんが大看板を務めた松竹新喜劇に入団しました。祖父と直接比較される厳しい世界に飛び込んだことにもなりますが、背中を押したのは、今月5日に一周忌を迎えた、歌舞伎俳優・中村勘三郎さんだったと言います。 そもそも、6歳の時、僕が初めて舞台に上がった東京・歌舞伎座での公演に誘っていただいたのが、当時の勘九郎さん、後の中村勘三郎さんだったんです。それまで舞台に立つようなことはまったくしていなかったんですけど、おじいさん(寛美さん)と勘三郎さんは、家族ぐるみで親交がありまして「お孫さんに出てほしい」となったようなんです。 おじいさんは僕が3歳の時に亡くなってますんで、残念ながら、直接触れ合った記憶はありません。でも、やっぱり血なんですかね。小さい頃からお芝居を見るのが好きで、歌舞伎も見ていた。中でも、誰に教えられるわけでもなく、勘三郎さんが大好きだったんです。その勘三郎さんからのお誘いなんで、大喜びで出していただきました。 その公演での演目「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」で勘三郎さんと親子役をやらせていただいたんですけど、それまで本格的な稽古なんてやったことありませんので、当然、何も分からない。それでも、勘三郎さんはとにかく「うまい!!」とほめてくれるんです。勘三郎さんからほめられたら、そら、うれしいじゃないですか。楽しい思い出だけが残って、その後も、子役としてお芝居の仕事をさせてもらい、事あるごとに、勘三郎さんにお話をうかがうようにもなりました。 後になってから聞いたんですけど、もっとさかのぼると、おじいさんと勘三郎さんのお父さん、十七代中村勘三郎さんが仲良しで、おじいさんは息子である(十八代目)勘三郎さんのことを目にかけていたそうです。 そんな長年にわたる流れがあったからか、勘三郎さんは芸のみならず何でも教えてくださいました。よく言われたのが「やりたいことをやりなさい。そして、やろうと思っていることは口にしなさい」ということでした。口にすることで、意識も高まるし、自分に逃げ場を与えないことにもなると。