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元浦和FWワシントンが誓う日本への“凱旋” 「浦和に対する使命はまだ終わっていない」

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Football ZONE web

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ワシントン(元浦和、東京V):前編――浦和愛がゆえの栄光からの帰国

 2005年から3年間、Jリーグでプレーした元ブラジル代表FWワシントンは、東京ヴェルディと浦和レッズの2クラブに在籍した。05年の開幕戦でいきなり初ゴールを挙げて、日本サッカーに難なく適応。浦和では06年J1優勝、07年AFCチャンピオンズリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップ3位など数々の栄光に貢献し、自身も06年にはJリーグ得点王を獲得した。 【動画】絶妙なボールタッチと強烈ヘディング弾! 元浦和FWワシントン、2006年J1優勝時の華麗ゴール集  ブラジルに戻ってからも、2011年1月の現役引退までさらに3年間、活躍を続けた。今でも「日本を愛している」と語るワシントンが当時帰国を選んだ理由は、まさに“レッズ愛”からだった。 「実際、Jリーグのいくつかのチームから、契約の話が来ていたんだ。でも、僕は浦和との一体感がすごく強かったから、日本で他のクラブのユニフォームを着ることが考えられなかった。だから、帰国を選んだんだ。ブラジルで1~2年間過ごした後なら、プロとして気持ちを整理し、他のチームのためであっても、日本に帰ろうと思うかもしれないしね」  帰国後はフルミネンセでプレーし、ブラジル全国選手権で28試合21ゴールを記録して得点王に輝いた。少年時代からの夢だったコパ・リベルタドーレスにも出場、クラブ史上初の決勝進出に貢献した。  翌年はサンパウロへ移籍し、1シーズン3大会(コパ・リベルタドーレス、ブラジル全国選手権、サンパウロ州選手権)で合計32ゴールと、クラブ史上でシーズン最多得点記録者となった。その後、フルミネンセに戻り、現役最後のシーズンを過ごした。

引退後、代理人業をスタートさせたことがきっかけで市議会議員に転身

 引退からの9年間、彼の人生は目まぐるしく変化し、様々な挑戦をしてきた。まずは下部組織時代からの古巣カシアス・ド・スウの本拠地である、ブラジル南部リオグランデ・ド・スウ州カシアス・ド・スウ市に拠点を移して建設会社を経営しながら、選手の代理人業をスタートさせた。その転居が、思いがけないターニングポイントとなった。 「2013年に市議会議員になったんだ。選挙では最高得票だったんだよ。リオグランデ・ド・スウ州のワールドカップ組織委員会で親善大使も務めた。そして、翌年はカシアス・ド・スウ市スポーツ局長に就任した。まさかの展開だったけど、人生を通してスポーツに関わり続けていくうえで、政治家という選択肢ができたんだ。アイデアを提案したり、スポーツを運営管理したり。様々なプロジェクトの土台作りもしたし、社会事業も手がけた。スポーツを通して街が成長するために、この仕事にベストを尽くしていた」  2014年には3カ月間、連邦議会下院議員として国政にも従事した。  そんな彼が、一旦政界を退いたのは、ピッチに戻りたいという思いからだった。サッカーの指導者と運営の講座を受けたのをはじめ、当時アトレチコ・パラナエンセを率いていたパウロ・アウトゥオーリ(現ボタフォゴ監督)やブラジル代表のチッチら、4人の名指揮官の下で監督研修をした。レヴィー・クルピ(元セレッソ大阪監督ほか)から数日間かけて、監督哲学なども聞いた。  入念に準備した後、2017年に監督キャリアをスタートさせた。 「ヴィトーリア・ダ・コンキスタという、ブラジル北東部バイーア州のクラブの監督に就任したんだ。小さなクラブだけど、これから飛躍するための意欲的なプロジェクトを打ち立て、施設や設備などの基盤も整えていた。市民にも愛されて、環境が良かった。小さなクラブから始めたのは、そこから少しずつ目標を達成し、ステップアップしていくためさ。  僕の夢は、Jリーグで監督を務めることなんだ。それが僕の心のクラブ、浦和であれば、そんなに素晴らしいことはないよね。あのサポーターの元に、監督として帰りたい。なぜなら、僕の浦和に対する使命は、まだ終わっていない。浦和のためにできることが、まだたくさんあると思っている。そのためにも、ブラジルのビッグクラブで結果を出すところまで行きたい。その段階を着実に経た後で、日本に挑戦するつもりだよ」

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