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中国の「デジタル・レーニン主義」 米国の対抗戦略は見えず

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【けいざい温故知新】米中新冷戦に「ケナンの知恵」を

 中国発の新型コロナ禍に加え、中国が香港国家安全法の制定を決めたことで「米中新冷戦」がエスカレートしそうだ。だが、中国を相手に、何を目標にいかに競うのか、米国の「戦略」が見えない。旧ソビエト連邦との「冷戦」が、ロシア通の戦略家ジョージ・ケナンが構想した「封じ込め政策」を下敷きにしたのとは大違いだ。  第2次大戦終結の翌年1946年2月、駐ソ代理大使だったケナンは、モスクワから対ソ連政策を献策する長い電報を打った。長文電報は米政府の要路に回覧され、マーシャル国務長官に、新設の国務省政策企画室・初代室長に抜擢されたケナンは、マーシャルプラン(欧州復興計画)立案に関わるなど、冷戦初期の米外交の知恵袋になった。  彼はフォーリン・アフェアーズ誌に長文電報を肉付けした「ソビエトの行動の源泉」と題した論文を、身分を隠し「X」として寄稿した。「X論文」は、ソ連共産党権力イデオロギーの来歴から説き起こし、「ソ連の膨張傾向に対する長期の、辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込め(containment)」を提唱した。ソ連が、西側世界に比べると弱い相手で、内部に自壊の種を含んでいることを論拠に、圧力を加え続ければ、ソビエト権力の崩壊か、漸次的な温和化を促せるとした。  米国が心がけるべきは、国内生活の問題にも、世界的強国としての責任にも適切に対処しているという印象を世界の諸国民に広く伝えること。避けるべきは、優柔不断や不統一や内部崩壊の露呈。「米国の最良の伝統を発揮し、偉大な国として存続に値することを示すだけでよい」という洞察は、今の米政権を赤面させそうだ。  新型コロナで、専門家の助言を軽視し世界最多の感染者・死者を出し、警官による黒人男性圧死で起きた差別反対運動は、トランプ大統領の言動が”火に油”となり拡大した。ケナンが求めた米国像とは真逆だ。  パンデミックを世界に広げた中国は「迅速に国内感染を抑え込み、国際協力でも尽力した」と自賛する厚顔ぶり。香港に国家安全法を押しつけ、南シナ海、尖閣・台湾近海、中印国境などで挑発的行動を繰り返す「戦狼外交」は、世界のヒール(悪役)を買って出たかのようだ。  ところが対する米国も、自国で感染爆発してから責任転嫁のように中国を責め始め、WHO(世界保健機関)への資金拠出を止め、脱退を宣言して国際社会を戸惑わせる。対中包囲網のつもりか、G7(主要7か国)にロシア、インド、オーストラリア、韓国も加える拡大案を唐突に持ち出し、欧州勢の反対に遭った。考え抜かれた戦略ではない。  米中新冷戦の号砲とも言われた一昨年10月のハドソン研究所でのペンス副大統領演説も、中国へのクレームの羅列だった。  米国の貿易赤字の約半分は対中国▼「中国製造2025」計画で最先端産業の90%の支配を目指す▼米国の知的財産を得ようと知財窃盗も辞さない▼米国の軍事的優位を浸食する▼比類なき監視社会を作り「社会信用スコア」などオーウェル流システムを導入する▼キリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒を迫害し100万人のウイグル族を収容所に隔離▼「借金漬け外交」で影響を拡大▼米国の民主主義に干渉するーー等々。  米国とロシアの将来を論じた別の論文でケナンは、ロシアに米国型の自由・民主主義を期待してはならず、政治体制が全体主義と一線を画したある明確な限度内に留まり、他国民を抑圧的な軛(くびき)でつないだりしなければ、良しとしている。  米中新冷戦で譲れない「ボトムライン」は何なのか。サプライチェーンのハブになった中国との貿易戦争は、世界経済にとりむしろ有害だ。1点に絞るなら、ドイツの中国専門家セバスチャン・ハイルマンが、いみじくも名付けた「デジタル・レーニン主義(digital Leninism)」との対決ではないか。ペンス演説が「比類なき監視国家」(ジョージ・オーウェルの反理想郷小説のような)「オーウェル流」と表現した中国共産党支配の永続をはかる統治手法のことだ。  習近平政権は、インターネット安全法の制定などで、ネット検閲システム「防火長城」を強化し、社会信用スコアの導入、AI付き監視カメラ網(天網システム)の構築など、国民の一挙手一投足を監視しようとしている。新型コロナは、この統治システムの欠陥をさらした。  武漢の李文亮医師は昨年末、新種の感染症の情報をグループチャットに投稿して警察に訓戒処分された。自身も新型肺炎で死去した李医師は病床でのメディアインタビューに「健全な社会の声は1種類であってはならない」と”遺言”した。李医師の例は氷山の一角だろう。  中国の新型コロナ情報隠しには、米国だけでなく英国、ドイツ、フランスなども批判している。デジタル化は世界の潮流だが、デジタル化世界のスタンダードを中国に譲り渡せば、民主主義は危機に直結する。自由を圧殺するデジタル・レーニン主義を中国に封じ込め、監視国家の”輸出”を阻むことでは、幅広い民主主義国家勢力を糾合できるはずだ。ケナンが生きていたら、そんな戦略を授けたのではないか。 ■土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹) 1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。 著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版)

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