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静かに消えた鉄道デパート

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  【汐留鉄道倶楽部】新型コロナウイルス感染拡大の波が、日本中を覆っている。社会・経済活動も激変した。繁華街から人は失せ、多くの人が家でひっそり暮らすことを余儀なくされている。  社会基盤である鉄道は変わらず運行されているが、乗客は大幅に減り、朝夕の混雑がなくなった。僕自身も出勤日は楽に座れるようになったが、今後間引きダイヤになると混雑が激しくなり、感染リスクが拡大してしまうのではないかと心配だ。  都心の繁華街から人が激減した3月31日、85年の歴史を持つデパートがひっそりと閉店した。渋谷の東急百貨店東横店だ。  東急百貨店は、東急電鉄や東急不動産と並ぶ東急グループの中核企業であり、東横店は1934年11月に開業した東横百貨店が前身のデパートだ。日本の百貨店は三越や大丸など呉服店がルーツの企業も多いが、一方で鉄道会社系の企業も多い。  私鉄のターミナルに店舗を設置して運輸と流通を結び付けるというビジネスモデルを最初に構築したのは、大阪・梅田の阪急百貨店。創業者小林一三の未来を見る目は鋭かった。これにならったのが東京横浜電鉄(後の東急)の五島慶太で、「ならった」というのは誇張でも何でもなく、開業前に社員を阪急に派遣し、デパート経営のノウハウを現場で学ばせたのだという。

 西の阪急、東の東急―。沿線に高級住宅地や学校も多く、文化事業に力を入れてきたという共通項があるように思う。阪急百貨店も東急百貨店も、そんなイメージで語られることが多い。現に渋谷の道玄坂で東急百貨店本店と並んで立つ文化村(Bunkamura)は、映画、演劇、音楽、美術の拠点として定着している。  さて、その東横店。現在は地下に潜っている東横線のホームが山手線の真上の2階にあったころは、改札口を出ると正面に百貨店の入り口があって、買い物客にはとても便利な位置関係だった。  さらに3階は地下鉄の銀座線ホーム。青山方向から走ってきた地下鉄の車両がいきなり頭上に現れ、明治通りをまたいでデパートの中に消えていく。渋谷の地形を考えればごく自然な構造なのだが、戦前からの風景であり、当時はみんなさぞモダンに感じただろうと思う。  建物は東館、西館、南館の3棟からなっていたが、西館のルーツは玉川電気鉄道の玉電ビルで、戦後大幅に増築された。玉電は現在の田園都市線渋谷―二子玉川間(玉川線)や世田谷線を走らせていて、ビルの2階にホームがあった。銀座線開通と同じころに玉電は東横電鉄に吸収されたので、南に東横線、東に地下鉄、西に玉電が出発するターミナルデパートは、戦前、既に出来上がっていたことになる。

 ちなみにJR山手線の渋谷駅には「玉川改札」という名の改札口があるが、これは玉電ホームに近かったという名残。玉川線は1969年に廃止され、ホームの跡地はバスの折り返し場になっていたが、今は跡形もない。他の会社の改札口の名前にだけ痕跡が残っているというのも、渋谷の歴史の意外な一こまだ。  ☆八代 到(やしろ・いたる)1964年東京・渋谷生まれ。共同通信社勤務。東横店は小さいときから親しんだ百貨店。亡父も東横店と同じ34年生まれだったと知り、これも何かの縁かもと思いました。  ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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