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ジョン万次郎が過ごした琉球 1日7合半の米、焼酎も飲めた 「漂着日記」を現代語訳

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沖縄タイムス

 国宝に指定されている尚家継承古文書の一つ「土佐人漂着日記」を、浦添市立図書館沖縄学研究室専門員で歴史研究者の栗野慎一郎さん(60)が現代語訳し、「豊見城市史だより第14号」に掲載された。日記は、日本人で初めて米国に住み、幕末期に日本の開国、近代化に貢献したジョン万次郎が現在の糸満市大度から上陸し、豊見城市翁長の高安家に半年間滞在した一件を琉球王府が正式に記録した唯一の文書で、活字化されて世に出るのは初めて。 この記事の他の写真・図を見る  日記は1851年1月3日、万次郎ら3人の漂着を摩文仁間切の役人が首里王府に伝える文書から始まる。  万次郎らはいったん那覇に移送されたが、王府の高官が中止を指示。当時、那覇には英国人宣教師のベッテルハイムがおり「(会うことがあれば)差しさわりがある」と記されている。  小禄間切小禄村まで来ていた万次郎らが引き返させられ、豊見城間切翁長村に落ち着くまでのやりとりも書かれている。  1日に1人7合半の米、焼酎、衣装など支給品の詳細も。他の2人は草履を3度支給されたが万次郎は歩き回ったのか4度支給されていた。  栗野さんは「万次郎たちに限らず、琉球では、漂着者の取り扱い体制がしっかりしていたので、安心して暮らせたのではないか」と指摘する。  万次郎の琉球滞在証言記録はあるが、琉球側の記録がまとまった形で公になるのは日記が初めて。栗野さんは20年来探し、現在、那覇市歴史博物館が所蔵する日記の存在を知り、琉大付属図書館が所蔵する紙焼き製本を基にくずし字の翻刻に取り組んだ。  豊見城市文化課の島袋幸司学芸員は「豊見城市、万次郎ファンにとって重要な史料だ」と意義を語る。千部発行し市外の希望者にも無料配布する。ホームページにも掲載中。問い合わせは市文化課、電話098(856)3671。  [ことば]ジョン万次郎  土佐(高知県)の漁師。14歳だった1841年、仲間の漁師と出漁中に遭難し、米国の捕鯨船に救助された。米国で10年間を過ごし、英語や航海術を学んだ。鎖国中の日本に帰国する途中で琉球に上陸し半年間滞在。帰国後、日米の橋渡しとして活躍した。

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