異邦人、西翼が韓国で巻き起こした、戦える日本人シンドローム。完全無名からアジアの大舞台に辿り着いた軌跡
Jリーグ未経験の日本人が韓国の強豪大邱でブレイク
Jリーグ入りを懇願するも叶わず、東欧に活躍の場を求めた西翼は、紆余曲折を経て、韓国半島を沸かせるプレイヤーとしてブレイクするに至った。アジア最高峰の大舞台ACLにも出場した。テクニックを押し出していた彼が頭角を現し、活躍することができた理由はどこにあるのか。キーワードは、日本人選手に不足しがちな「闘う」を極めたことだった。(文:キム・ドンヒョン 2019年7月発売『アジアフットボール批評08』を転載) ■プロフィール 西翼(Tsubasa Nishi) 1990年4月8日、熊本県熊本市出身。ルーテル学院中学・高校で活躍し、専修大学に進学。卒業後はJリーグ入りを目指すもオファーはなくポーランド4部へ。その後ポーランド最高クラブとして知られるレギア・ワルシャワにも在籍するも活躍の場は得られず。だが、その後スロバキアでプレーする西に大邱からオファーが届いたことが転機に。大邱で活躍の場を見出すとアジア最高峰の舞台ACLにも出場。大邱のファンには“大邱のルカ・モドリッチ”と称される。
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フットボールチャンネル編集部