IT系や金融系のシン富裕層がわが子を入れたがる千葉と奈良の急伸私立とは…昔からの富裕層と全然違うワケ
教育費に不自由しないお金持ちは、自分の子どもをどんな学校に行かせたがるのか? 地方のエリート層と成り上がった富裕層が選ぶ「名門校」を、全国各地から一挙に紹介する。 【図表】東京大学高校別合格者数(2024年度) ■「石破茂コース」は定番 政治家の親は慶應志向 名声を好み、希少価値が高いものを手に入れようとする富裕層。そんな価値観を持つ者が、自分の子どもをブランド力のある「名門校」に入れたがるのは自然な行動と言えるだろう。 たとえば、代々地元に根ざした旧エリート層、いわゆる「名士」と呼ばれる人々は、自分の子どもをどんな高校に入れたがるのだろうか。教育ジャーナリストの小林哲夫氏は、「彼らが選ぶのは、伝統的な名門校です」と語る。「歴史の長さ、入試偏差値、進学実績など、何をもって名門校とするかについては、さまざまな見方があります。そこでひとつの目安になるのが、その学校から大臣、博士など、どれだけ著名な人物が卒業したかという『人材輩出力』です。そして、そうした人材を輩出するためには、それなりの長い歴史が必要になる。地方の名士はそういった伝統性を重視する傾向があるように思います」(小林氏) 首都圏や関西などの都市圏では、長い歴史をもつ私立の名門高校が存在する。東京の私立御三家と言われる開成、麻布、武蔵。関西では戦前からある灘や甲陽学院(いずれも兵庫県)などは、長い人材輩出の歴史をもつとともに、現在も東大・京大合格者ランキングの常連校である。 また、慶應義塾(東京都)や同志社(京都府)のように、私立名門大学の付属中学・高校がエリート層の子どもの進学先となってきたケースも多い。「とくに政治家は、慶應義塾系列の中学や高校に入れたがる傾向がある」(小林氏)というように、自民党新総裁になった石破茂氏も、地元の鳥取大学附属中学から慶應義塾高等学校に進んでいる。 しかし、全国的な規模と歴史の長さという点において一日の長があるのが、各都道府県や主要都市の「旧制第一中学」にルーツをもつ公立高校だ。明治時代に近代的な学校制度(学制)が導入されたとき、各地域に最初につくられた中等教育機関が名称を変え、今もなおその伝統を継承している。 かつて「旧制一中」はその地域の天才、秀才、神童が一堂に会する場であった。たとえば日比谷(東京都)は、夏目漱石に代表される多くの著名人を輩出しただけでなく、新制高校になってからも1967年まで東大合格者数のトップを誇ってきた。戦後の新しい6-3-3-4制導入以前につくられた元旧制二中/三中とともに、現在も地域トップクラスの難関校であるケースが多い。 「鶴丸(鹿児島県)は、全国屈指の進学校である同県のラ・サール学園と、県内ではほぼ同等の評価を集めています。同様の例は、松山東(愛媛県)、浦和(埼玉県)、旭丘(愛知県)、宇都宮(栃木県)など、枚挙にいとまがありません。地域によって温度差はありますが、このほか、松本深志(長野県)、新潟、岐阜、岡山朝日(岡山県)、高松(香川県)なども地元で高いブランド力があります」(同)