佳子さま、愛子さま、悠仁さま…皇族の結婚に必要なのは愛か家柄か、それとも覚悟か? 林真理子『李王家の縁談』が投げかける令和皇室への“問い”
内親王のアイドル化
林 圭くんの一件からたまにSNSなんか見ると、眞子さまや佳子さまに対して人間性を否定するひどい書き込みがあったりします。もしウチの娘がこんなこと書かれたらほんとに訴えてやる、という汚らしい罵詈雑言がずらずら並んでいますが、国民が当たり前に皇室を敬う時代は終わってしまったんでしょうか。 小田部 僕は秋篠宮家の内親王お二人の場合、ある種のブームの反動だと思うんです。 林 ブームですか? 小田部 そう。「眞子さま萌え」「佳子さま萌え」というのが一時ありましたよね。 林 ありました。お二人ともお可愛らしくて本当に素敵だったので、インターネットなどでアイドルのようにもてはやされました。 小田部 まさにそれ、アイドル化。昨今の批判は、その裏返しじゃないかと思っています。たとえばアイドルが自分たちの嫌いな男と付き合ったり結婚したら、絶対攻撃しますよね? それまでそのアイドルのことが好きであればあるほど反動で敵視するようになる。 林 雑誌のグラビアを飾りそうな美貌と親しみやすさですから、アイドルと同一視されてもおかしくないですね。 小田部 そうそう。とはいえ、1950年代のミッチーブームなんかとも騒ぎ方が違います。ネット社会になってから、特に若い男の子たちがそれこそAKB48でも追っかけるように国のプリンセスを追いかけるようになりました。そもそも今のアイドルって昔の女優などと違い、会いに行ける、握手できるという身近さが売りになることが多いじゃないですか。知らず知らずのうちにファンはアイドルを友だちくらいの感覚で見ているけれど、実はその距離はそんなに近くないんです。同じように、国民と皇室が一見近づきすぎたために、何かあったときの反発は大きくなる。ある程度の距離はお互いあってしかるべきだったんですけど、忘れてしまったのかなという感じです。 林 距離感といえば、絶妙なのが愛子さまかな。ちょっと近づきがたいオーラを放っていらっしゃるじゃないですか。勉強もできて人柄もよくて、子供を学習院に通わせている知り合いによれば、ものすごくみんなの尊敬を集めてらっしゃるって。 小田部 そうですね。やはり象徴たるものオーラとカリスマ性が必要です。われわれと同じかちょっと上くらいでは、なかなか仰ぎにくい。そういう意味では、学習院女子高等科時代からダンスをされていた佳子さまも、あまりに一般の人々とお近づきになりすぎてしまって、「なんだ、俺たちと変わらないじゃないか」と思われたのでしょう。同じ踊りでも日本舞踊くらい、「私たちじゃできないよね」という上流感がないと。 林 私も昔日舞を習っていて、名取ですよ(笑)。昔の下町の子なんて割とやっていたんじゃないでしょうか。能のお仕舞とかの方が上流っぽいかも。 小田部 なるほど。上流の伝統文化というか、簡単に手が届かないものがいいですね。もちろん皇室と国民との距離が近い方がいい場合もあるんですが、同じでいいという誤解を受けてしまうのはよくない。「皇族はわれわれとはちがう」という意識は必要だと思います。 林 上皇さまが天皇でいらっしゃるとき、ご一家でクラシックの合奏をされていたじゃないですか。あれなんかは気品に溢れていて、庶民からすると「ひ、ひええ」という感じでした。
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