【アメフト】初の日本人NFL選手を目指す K佐藤敏基(2)復活 そして日本タイ58ヤード
アメリカンフットボール、IBMビッグブルーの佐藤敏基にとって、Xリーグ初年度の2016年は辛い結果だった。しかし、大きな出会いと決断をした年でもあった。
コーチ・マイケルとの邂逅 挑戦を決意
早大以来のキッカーとしての師・丸田喬仁さんが、櫻井義孝さん(当時はアサヒビール・シルバースター)と共に2015年12月に「ジャパン・キッキング・アカデミー(JKA)」を立ち上げた。JKAは2016年6月に、タンパベイ・バッカニアーズなどでKとして活躍したマイケル・ヒューステッドさんをコーチとして招いたクリニックを開催した。 佐藤にとってアメリカの師である、「コーチ・マイケル」との出会いだった。大学生や社会人選手も参加したコンペティションで、佐藤は55ヤードを蹴って1位となった。コーチ・マイケルは、佐藤にNFLに挑戦してみないか、と声をかけたのだ。 「『いやいや、それはちょっと言い過ぎでしょう』と思いました」 しかし、マイケルは「今すぐは無理だが、君の課題はこういう部分だ」と具体的に指摘。「光るものがある。(自分の拠点である)サンディエゴに来て一緒に練習しないか」と誘ってくれた。 佐藤は、2年前、2013年のウィスコンシンの記憶を呼び起こしていた。 「アメリカ人のKは、まったく歯が立たない相手ではない」 佐藤は覚悟を決め、入社したばかりの大手不動産会社を辞職した。 「短い間だったのですが、本当に良くしてもらったし、慰留もされました。ですが最後は快く送り出してくれました」 NFLへの挑戦の始まりだった。
唐突に抜けたトンネル
2017年春、佐藤は渡米、コーチ・マイケルの下で腕ならぬ脚を磨いた。Kの役割はFGだけではない。キックオフのフリーキックでは、長く高いキックを蹴ることができることが重要だ。佐藤は、自分のフリーキックが、距離や滞空時間の点で米国人選手に劣っているのを意識、肉体の改造にも踏み出した。 「試合で実際に蹴ることも重要」というコーチ・マイケルの助言を受け入れ、秋のシーズンは日本でゲームに出ることにした。一度崩れたフィールドゴール(FG)の調子はなかなか上がらなかった。短い距離は決められるようになっていたが、得意だったはずの長距離の確実性が戻らなかった。 その状態で迎えた2017年12月18日の日本社会人選手権「ジャパンXボウル」。IBMは富士通と対戦した。試合は23-63と大敗したが、佐藤は大会新記録となる50ヤードを含む3本のFGを決め、敢闘賞に選ばれた。しかし、佐藤にとって、もっと大きかったのは、失っていたキックの感触を取り戻したことだった。 「新記録となったキックではなく、その前に決めた最初の(38ヤードの)FG、非常にクリーンにコンタクトできました。そしてボールが良い回転でゴールポストに入っていった瞬間に、自分の中で『プツン』と何かが変わりました」 佐藤が長いトンネルから抜け出た瞬間だった。50ヤードFG成功は、本来の自分を取り戻した佐藤にとって、その結果に過ぎなかった。甲子園ボウルから2年と5日後のことだった。 2018年、シーズン終盤に向けしり上がりに調子を上げ、プレーオフ2試合では40ヤード超のFGを3本決めた。ジャパンXボウルでは、FG4本を決め、2年連続の敢闘賞にも輝いた。