《いい野球人に恵まれた》江夏豊が語る“野球への感謝と後悔”「人生を振り返ると反省の連続だったけど、すべての人に心から感謝している」
通算206勝193セーブをあげた“伝説の左腕”は76才になった。阪神時代は王貞治や長嶋茂雄の好敵手として数々の名勝負を繰り広げ、その後、複数の球団を渡り歩いて“優勝請負人”とも呼ばれた江夏豊。いま改めて野球人生を振り返り、いったい何を思うのか。《聞き手/松永多佳倫(ノンフィクション作家)》【全3回の第3回】 【写真】現役時代の江夏豊 100セーブ達成時に“大沢親分”と
監督をやりたいと思ったことは一度もない
現役最後の西武の1年間は大いに悔いが残っている。違った辞め方ができたと思うが、西武球団の激動時代のど真ん中だったこともあり、これもひとつの勉強になった。衝突した広岡(達朗)さんとはもう少し時間があれば、俺なりにもっともっと突っ込んで話ができたと思ってる。自分にとっては忘れることができないひとりでもある。 ちなみに自分が監督をやりたいと思ったことは一度もない。指導者自体なりたいと思わなかった。自分の性格上、10人選手がいたら10人を均等に教えることができない。1人2人教えてみたい選手には情熱を持ってぶつかれるけど、それ以外は見向きもしないタイプ。だから指導者には根本的に向いてないよ。 以前よく質問されていたのが、「野球界で一番感謝している人をあげてください」だ。いろんな関係があるから1人に絞るのは不可能極まりない。これだけは言えるのは、いい野球人に恵まれたということだ。“恋女房”のキャッチャーにしても、誰が一番ということではなく、いいキャッチャーとバッテリーを組めた。 『がんばれ!!タブチくん!!』じゃないけど、もちろん田淵(幸一)くんには苦労させられた。でもいまだに「おい、お前」で喋るし、何かあれば4日に1回ほど電話で話す仲だ。もう50年以上の付き合いであり、そういう友がいることは本当にありがたい。
自分の人生を振り返ると反省の連続だった
18年間の野球人生でやり直したい場面は山ほどある。後悔の塊だもの。ただそれを人に見せない、それを知られたくないという部分はあるよ。自分がもう少し大人になって頭を下げていれば何でもないことなのに我を張ったばかりに話がややこしくなった例はたくさんある。でもそれも人生であり、仕方がない。 人を恨むじゃなく自分を恨め、だ。最終的には自分が反省してどういう行動を見せるかだ。自慢にならないけど、俺にはたくさんの友がいる。でも反面、お前の性格が嫌なんやって思う人もいるんじゃないかと思う。 例えば、衣笠祥雄という男は早く亡くなってしまったけど、俺のことを内心どう思っていたかわからない。俺にとっては大の友人だったけど、あいつ自身は「こいつはやりづらい男だな」と思っていたかもしれない。ただ俺の気持ちをよく理解しようとしてくれたし、俺にとって衣笠は最高の友達だと思ってる。 自分の人生を振り返ると反省の連続だったけど、いろんな人と巡り会い、いろんな場所で接点を持てた。たくさんの思い出が作れたことは本当に良かったし、すべての人たちに心から感謝している。たくさんの思い出があるだけで財産だし、思い出は消えないものだからいつまでも大切にしたい。 野球人として、ひとりの人間として、たくさんの人に生かされ、励まされ、精一杯生きてきた。それだけは後悔がないと胸を張って言えるよ。 (第1回から読む) 【プロフィール】 江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ。 松永多佳倫(まつなが・たかりん)/1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。近著に『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)などがある。 ※週刊ポスト2024年12月20日号
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