“定時制高校出身”がコンプレックスに…放送作家・寺坂直毅を救った「芸人」とは?
放送作家の高須光聖が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し、勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。5月15日(日)の放送では、放送作家の寺坂直毅さんが登場しました。
◆放送作家になるまでの経緯を振り返る
高須:今、おいくつになられましたか? 寺坂:41歳です。 高須:この業界は何年目になるんですか? 寺坂:20歳から入ったので、もう21年は経ちましたね。 高須:21年やってみてどうですか? 寺坂:まだまだ下っ端です(笑)。 高須:そうなの(笑)!? そもそも、どういう経緯でこの業界に入ってきたの? 寺坂:中学生~高校生時代は、深夜のラジオ番組にハガキを投稿していました。芸人さんには絶対になれないと思っていましたけど、(収録スタジオで)笑っていらっしゃる方には憧れていたんですよ。 高須:“あの場で笑っているやつらは何の仕事をやっとるんや?”と思ったわけね。 寺坂:そうですね、それで放送作家の存在を知りました。ただ僕は、宮崎の田舎出身なものですから、どうやってなればいいのかが分からなくて、とりあえず放送関係の専門学校みたいなところに2年間通いました。 高須:ほう! 寺坂:そのあとは制作会社の求人に「放送作家募集」って書いてあったので、そこを受けに行ったら「作家になるなんて甘いよ」って言われたんです(笑)。そこで「ADをやれ」と言われて5年ほどやりました。 高須:そんなにやったの!? 大変!
◆引きこもり時代を支えたもの
寺坂:そもそも僕は、中学生のときに引きこもりだったんですよ。 高須:そうなの!? 寺坂:中2ぐらいから一切学校に行きませんでした。今でいうところの特別支援学校に行きまして、月1のカウンセリングを受けて、なんとか中学卒業の資格を取った後、作文だけで入学できる定時制の夜間高校に通ったんですね。 そんな人間なものですから、そもそも友達がいないから人としゃべらないんですよ。そのまま上京して専門学校に行ったものですから、当然話す相手もいないし友達も作れない。そこからいきなりADになったので、電話の取り方からすべてに対して怒られましたね(笑)。 高須:よくそこを乗り越えられたね。「実家に戻ろう」という気持ちにはならなかったの? 寺坂:当時、今田耕司さんと東野幸治さんがやられていたラジオ番組がありまして、それを聴いているうちに「いつか今田さん、東野さんと仕事がしたい」と思うようになったんですよ。 高須:へえ! その番組は引きこもりのときから聴いていた? 寺坂:そうですね。僕は定時制高校であることにコンプレックスを抱えていたんですけど、今田さんも定時制高校出身で、しかも、そのことをラジオで堂々とおっしゃっていたので勇気をもらえました。また、東野さんは「友達がいない」みたいな話をずっとされていて、そこにもシンパシーを感じていました。 高須:その頃からハガキは出していたの? 寺坂:出していました。 高須:採用はされたの? 寺坂:実は、けっこう採用されていましたね(笑)。 高須:そうしたら“作家としてやっていけるんじゃないか”って思わへんかった? 寺坂:放送作家になるきっかけがないんですよね。 高須:「どうすれば放送作家になれるのか」が分からないってことか。当時はネットもなかったからね。 寺坂:そうですね。それこそ、今田さんと東野さんの番組の放送作家さんが所属している会社を電話帳で調べたことはあります(笑)。 高須:連絡はしなかったの? 寺坂:勇気がなくてできなかったです。 高須:そこに連絡していたら、もしからしたら別の方法で放送作家になっていたかもしれないね。 (TOKYO FM「空想メディア」2022年5月15日(日)放送より)