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【虎のソナタ】87年10月12日スパッと退団した吉田監督 日本一導くもわずか2年で崩壊

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サンケイスポーツ

 まだトラ番ピヨピヨの頃、憧れの甲子園球場の春の自主トレの時、天下の吉田義男にひょいと「あんた、二塁ベースで僕の送球を受けてくれんか」といわれた。エッ、まさか…。彼の捕球の正確さは寸分も狂いがないといわれていた。昔はこんな機会があったのだ。  で、こっちはド緊張しながらもヤジ馬根性だ。わざと途中で捕球直前の名人にむかって二塁ベースから隠し持っていたボールをフワリとトスしてみた。ひょいッと頬に当たった! 彼は瞬間、苦笑いしながらジロリ。  「あんた何すんねん」  これが仮に熱血・村山実だったら、青筋をたてて「▲☆×!」とすごい剣幕で叱られるだろう。  この対比はよく思い出す。筆者はそれ以後でも何が起きてもどんなに悔しいことがあっても感情をむき出しにした吉田義男を見たことはない。はんなりとした京都なまりの向こうに背筋が凍り付くような覚悟を見た。  その正反対のところに村山実という熱血漢の勝負師を見た。どっちがどうだというのではない。  実は1987年の10月12日、日本列島を阪神大フィーバーに導いた吉田義男監督が辞任を球団に申し出て、スパッと退団した日だ。  2年前の85年に経済波及効果1000億円。道頓堀へのダイブが61人。あの熱気からわずか2年でなぜ吉田阪神は…音を立てて崩壊したのか? と誰もが思う。  伝統の一戦で落ち着き払った原監督と、肩を落としてため息をつく矢野監督を見ると、悲喜劇はまた繰り返されるのか、と危惧する。  「いゃあ、気になることがあるので…今からちょっと動きますヮ」と、運動部長大澤謙一郎のうなり声が電話口で聞こえた。新聞社というところは本日の当番デスク阿部祐亮じゃないが「何もないとそれで窒息しそうになるし、何かあると、もっと息苦しくなる」という因果な商売。さぁここからトラ番の尻をたたくわけだ。  そのクセ、文句をいいながら部長大澤もデスク阿部もどこか声がマゾッ気をふくんでいたのは彼らの“野生の雄たけび”という本能。それはじっくりと紙面で皆さまが味わってください。  この日はまた夏がぶりかえしたような暑さの甲子園周辺。阪神は先発投手の高橋、青柳、岩田、西勇、秋山らが軽く汗。そこにドドッと目の色変えた部長と当番デスクのホットコールの乱射だから…。  冒頭に書いた第2次吉田阪神の3年間は日本一→3位→最下位とずり落ちた。正直いえば、なれない勝利の美酒に悪酔いしたのか、チームのたがが緩み吉田監督は「気合を入れなおす」ことに苦労した。当時、西本幸雄氏はシミジミと筆者にこういったのを思い出す。  「吉田阪神のこれからV2への最大の敵は『優勝したこと』なのだ…」  それはいかにチームのネジを締め上げることが難しいかを示していた。3年目、主砲の掛布が6月2日に腰痛でリタイア。その4日後に札幌でヤクルトに2-9で敗戦。熱血漢の竹之内打撃コーチ補佐がその夜、宿舎の監督室で選手起用について監督と激論し、その翌日にチームと離れて帰阪。そのまま退団した。コーチの疑義に指揮官は「それがチームのバランスなのだ」と譲らなかった。  集団としてとらえる立場と選手を駒(個)としてみるか、勝利への正義はここで絶対感がほころび始めたのである。吉田さんは辞意を表明した-。これが「暗国時代」へのドアノブを回した。この世界に“善戦”という勝利はないのに…。

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