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中立的な立場から、五〇年代はじめの日本と中国の束の間の友情を描く―加藤 徹『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』張 競による書評

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◆中立的な立場から束の間の友情を描く 終戦直後、日本が直面していた大きな問題の一つは海外邦人の引き揚げである。中国に取り残された日本人の大半は、蔣介石の中華民国政府の協力で帰国を成し遂げた。しかし、国共対立とそれに続く内戦により、まだ多く取り残されていた。大陸を掌握した共産党中国とは外交関係を樹立していなかったため、邦人の引き揚げは中止を余儀なくされ、戦後復興期を迎えても、なお進展がないままであった。 一九五三年の春、状況が大きく動き出した。三月中旬、四九三七人を乗せた第一次帰国船が京都の舞鶴港に到着し、その後、帰国者は次々と日本に戻ってきた。 山を動かしたのは、中国の赤十字会長を務める李徳全という女性である。クリスチャンである彼女は衛生部長(厚生大臣)を兼務しており、官民両方の顔を持っている。翌五四年、彼女は大きな手土産を持って日本を訪れた。戦犯リストを公表し、全員を帰国させる意思を表明して朝野を驚かせた。 近代史の一幕として、これまでも断片的に言及されてきたが、本書は日中双方の史料を駆使し、わかりやすい言葉でその顚末と舞台裏のすべてを再現してくれた。 学問としての外交史研究は史料の発見、収集と検証が主要な方法で、史料の吟味と批判は不可欠な手続きである。その半面、当事者たちの心情や人柄がどのように歴史に影を落としたかについてはほとんど語らない。 書名の「秘史」が示唆した通り、著者が着目したのは過去が持つ「物語」としての側面である。表舞台での動きを通して、歴史を動かす人たちの意図と気持ちを捉えようとしている。 国際社会で起きたことは小学校の教室でもよく目にすることができる。成績一位と二位の子は互いのことを面白くないと思うし、二位と三位も反りが合わないことが多い。大人から見てどうでもよいことでもいがみ合い、相手を出し抜こうと隙を狙っている。 しかし、ビリたちはまったく違う。彼らは失うものはないから、いつも朗らかで、いつも愉快である。相手のことを敵視しないどころか、互いに親近感を持ち、すぐに仲良しになれる。 五〇年代はじめの日本と中国はまさに国際社会という教室の隅っこにいるビリ同士であった。李徳全の訪日に対する歓迎ぶりは、今日では理解しがたいほど熱狂的であったが、それは決して偽りでも演出でもない。本書が活写したのは束の間の友情だが、ビリたちの本心から発したのは間違いない。過不足のない背景紹介は、過去という氷山に登るための強力なピッケルになっている。 本書でもう一つ特筆すべき点は価値中立的な立場である。李徳全の来日は美談としてではなく、事実に基づいて双方の動機が冷静に語られている。日本に対しても、中国に対しても思い入れや先入観は一切排除されている。 人間像にまつわる伝説はいつも柔らかい隠喩として外交の場の緊張をほぐしてくれる。著者は人物の過去にもさかのぼり、その人が歩んできた道をたどることで、全体像を浮かび上がらせようとした。主役の李徳全や廖(りょう)承志はもちろん、吉田茂首相の遠謀深慮や日赤の島津忠承社長の苦心など日本側の関係者の動きも生き生きと描き出されている。 [書き手] 張 競 1953年、中国上海生まれ。明治大学国際日本学部教授。 上海の華東師範大学を卒業、同大学助手を経て、日本留学。東京大学大学院総合文化研究科比較文化博士課程修了。國學院大学助教授、明治大学法学部教授、ハーバード大学客員研究員などを経て現職。 著書は『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫/第45回読売文学賞)、『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波書店/一九九五年度サントリー学芸賞)、『中華料理の文化史』(ちくま新書)、『美女とは何か 日中美人の文化史』(角川ソフィア文庫)、『中国人の胃袋』(バジリコ)、『「情」の文化史 中国人のメンタリティー』(角川選書)、『海を越える日本文学』(ちくまプリマー新書)、『張競の日本文学診断』(五柳書院、2013)、『夢想と身体の人間博物誌: 綺想と現実の東洋』(青土社、2014)『詩文往還 戦後作家の中国体験』(日本経済新聞出版社、2014)、『時代の憂鬱 魂の幸福-文化批評というまなざし』(明石書店、2015)など多数。 [書籍情報]『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』 著者:加藤 徹 / 出版社:新潮社 / 発売日:2020年03月13日 / ISBN:4106108550 毎日新聞 2020年4月25日掲載

張 競

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