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夏の甲子園が失われた意味と損失を改めて考える

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甲子園だけがもたらす進化や成長

 2015年夏の100周年記念大会では、関東一のセンター、オコエ瑠偉(現楽天)が全国にその名を轟かせている。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ印象的な風貌、185cm、85kgという恵まれた身体で甲子園のグラウンドで躍動。その勇姿をファンの脳裡に焼き付けた。  いまでも語り草となっているのは、3回戦の中京大中京戦の初回、2死満塁のピンチで見せたスーパーキャッチである。頭上を抜けようかという打球に向かって懸命に背走し、見事フェンスの手前でグラブに収めたビッグプレーは、ファンの心を鷲掴みにした。  このプレーがテレビのスポーツニュースで繰り返し放送され、新聞でも大きく取り上げられて、一番驚いたのはオコエ本人と関東一の米澤貴光監督である。  甲子園に出場している期間中、新聞は関西版しか読むことができない。関東一は東京の高校だから、扱いも小さかった。が、地元の東京版は当然大々的に報じられている。東京の知人や関係者に「すごいことになってますよ」と聞かされても、米澤監督にはにわかに信じられなかったそうだ。  2年生だった前年の14年春まで、オコエはまだレギュラーを取れるほどの存在ではなかった。米澤監督もセンバツのベンチ入りメンバーから外していたほど。そんな″劣等生″オコエが、15年夏の大会で全国区のスターへと躍り出た。まさに大化けである。  甲子園で急成長した球児で、私個人が最も印象に残っているのは、PL学園の捕手・田中雅彦(のちロッテ、ヤクルト)である。彼を覚えているファンはもう少ないかもしれないが、1998年夏の準々決勝、延長十七回の激闘となった横浜-PL戦、甲子園屈指の名勝負として語り継がれている試合を記憶している人ならまだまだたくさんいるはずだ。  あの試合で、八回からマスクをかぶったPLの控え捕手が田中である。主戦捕手がケガをして退場を余儀なくされ、それまで予選の大阪大会ですら一度も出場していなかった田中が本塁を守らざるを得なくなったのだ。  「代わった直後のことは、いまでも思い出せません。気がついたら上重(聡、投手)さんや内野手の人たちが目の前にいたんです」  それほど緊張し、頭の中が真っ白で、何も考えられなかった田中が、延長十七回まで、ほぼ1試合ぶんエース上重の球を受け続けたのである。突然でサインがわからないため、スクイズを警戒してウエストするときは上重がまばたきで知らせるという方法を取った。  結果は250球を投げ切った横浜・松坂の前に敗れたが、「自分の中で何かが変わったた感触があった」と田中は言う。  「だんだんと、冷静に試合を見られるようになって、いろいろ考えることができるようになったんです。それにつれて、あの大歓声の中でプレーできることを楽しくなった」  それこそが、甲子園だけがもたらす進化や成長ではないか、と私は思う。この試合での活躍を近畿大・本川貢監督に買われ、田中は近大に進んで4季連続優勝に貢献し、4年間で4度もベストナインを受賞。そして、2003年ドラフト4位でロッテに入団した。  「あの甲子園の試合で人生が変わりました。あの試合がなかったら間違いなく、その後の僕はないですから」  胸を張ってそう言える高校球児が、今年はひとりもいない。こんなことは今年1年だけにしてほしい、と切に願う。

赤坂英一 (スポーツライター)

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