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米軍B29爆撃 岡山県内初は真庭市蒜山地域か 日米の戦時資料から浮かび上がる

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山陽新聞デジタル

 米軍のB29爆撃機による岡山県内最初の空襲が終戦1年前の1944年8月11日未明、真庭市蒜山地域だった可能性が高いことが県内外の専門家らの調査で分かった。現在の同市蒜山下長田の山中に焼夷(しょうい)弾が投下され、人的被害はなかったという。長崎空襲のために飛来したB29が標的を見失った後、蒜山に落としたとみられる。  県内への空襲は、45年3月6日深夜、岡山市北区新庄下に爆弾6発を落としたのが最初とされてきたが、蒜山への空襲はこれを7カ月さかのぼる。8月11日はほぼ同時刻に、中国・成都を出撃したB29約30機による長崎空襲があった。B29が日本に初めて本格的に焼夷弾を投下した空襲だったとみられる。

 蒜山への空襲は蒜山郷土博物館(同市蒜山上長田)の前原茂雄館長(50)が以前から調査。地元の文献にB29の焼夷弾が落とされたとの記録が残っているほか、「ドガーンという爆発音が1回聞こえた」「雷と勘違いした子どもが朝まで震えていた」といった証言を住民から聞き取っているが、空襲を裏付ける米軍側の資料は見つかっていなかった。  前原館長の調査を知った岡山空襲展示室(岡山市北区駅元町)が昨秋、「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長で、米軍の戦時資料を研究している工藤洋三さん(70)=山口県周南市=に資料を送り、情報提供した。  工藤さんは、長崎空襲に関する米軍資料の中に「(1機が)午前2時10分に未確認の目標を攻撃」という記述を発見。日本の海軍戦時日誌にも「午前1時47分に米子付近を不明機が東進」との記録があり、両資料の記述と蒜山の住民の証言は飛行ルートや攻撃時間が合致するため、同一機と判断した。この1機は成都への帰還途中で燃料切れとなり、中国・湖南省で墜落した。  「編隊からはぐれた末の蒜山への投下だったのではないか」と工藤さんはみる。  岡山空襲展示室は「日米双方の資料から空襲の実像を鮮明に浮かび上がらせた。米軍の戦略を知る上でも貴重」とし、工藤さんが蒜山空襲についてまとめた論文を今月からホームページで紹介している。

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