「地震でみんな失った」…被災した女性の背中を押す”思い出のピアノ”が戻るまでに密着
能登半島地震では多くの人が大切にしてきたものを失い、元通りの生活とは程遠い日々を過ごしている。そんな中、周りの支援によってその大切なものが戻ってきた、ある女性に密着した。 「みんな失った」…被災した女性のもとに両親との思い出が詰まったピアノが戻る
ピアノと渓口さんに残る地震の爪痕
輪島市町野町で暮らしていた溪口裕子(たにぐちひろこ)さん。今は穴水町に住む娘の自宅に避難している。渓口さんは能登半島地震発生以来、8カ月振りにピアノ教室に通い始めた。「ピアノ始めた時はね、眼鏡なしで弾けたのに」とポツリ…。 溪口さんがピアノを初めて弾いたのは24歳の時。以来渓口さんの人生はいつもピアノと共にあった。しかし今、そのピアノは渓口さんのそばにない。自宅は能登半島地震で被災し、中規模半壊と判定され、住むことができなくなってしまった。1階に置かれていた渓口さんのピアノは、自力で運び出すことができず雨ざらしになっている。 このピアノは50年以上前、家を継いだ渓口さんに両親がプレゼントしてくれたものだ。 溪口裕子さん: 両親に買ってもらった大切なピアノです。きょうだい3人女の子で私を家に引き留めたから、気晴らしに頑張ってほしいと思ってピアノ与えてくれた。 渓口さんは当時のことを思い出したのか、表情を和らげて語った。さみしいとき、仕事に疲れた時はいつもピアノに触っていたという。避難している娘の自宅に電子ピアノはあるが、弾くことはない。ピアノを弾きたいと思わないかと尋ねると渓口さんは… 溪口裕子さん: 娘はピアノ弾いていて、音色を聞いていて懐かしいなって思いはあったけど。自分はもうピアノは終わりと思っていたから。コツコツ積み重ねて、みんな失うって本当に悲しい。 渓口さんにとって元旦の震災で大切なピアノと離れ離れになったことは、両親との思い出やピアノを弾き過ごした日々との別れと同じ意味合いを持つほど、辛く悲しい経験だった。 娘の倉本沙織さんは、次第に元気がなくなっていく溪口さんを、そばで見守ることしか出来なかった。「抱えているものが多すぎて頑張ってはいるけど、自分がなくなっていくような感じ。とてもとても、辛そうになっていったのが見えた」と話す。