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形見が語る阪神大震災 25年を過ぎても、生き続ける記憶

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 6434人が犠牲になった阪神大震災から25年が過ぎた。崩れ落ち、炎に包まれた街の中から、残された人たちは大切な人の思い出の物を捜し出した。手書きの文字で埋まったノート、焦げ跡の残る写真、身につけていた服やバッグ―。持ち主を失った品々に刻み込まれた記憶は、遺族たちの胸の中で生き続けてきた。(共同通信=武隈周防、坂野一郎)  ▽消えぬ面影、旅日記に  三宅弥生さん(78)が、大切に手元に置いているノートがある。兵庫県芦屋市で、1人暮らしの文化住宅が全壊し下敷きになった次男の真輔(しんすけ)さん=当時(28)=が、大学時代に北海道を旅した時の日記が書かれていた。同県西宮市の実家で弥生さんが見つけた。  最近まで、水色の表紙を開くのもつらかった。  「この旅で人間を大きくし、強くしていこうと思う」  約1カ月に及ぶ旅の初日に、真輔さんが記した言葉。「あのときこんな気持ちだったんや」と胸を突かれながら、弥生さんは少し読み進めては閉じ、読み進めては閉じてきた。今も、涙で文字がかすむ。

 1995年1月17日の夕方、遺体安置所になっていた体育館で弥生さんが対面した真輔さんは、冷たい床に敷かれたブルーシートの上に裸で並べられていた。体にほとんど傷もなく、顔はきれいなまま。弥生さんは傍らに座って、真輔さんの腕を一晩中さすり続けた。次々と犠牲者が運びこまれて足の踏み場もなくなり、少し動くと隣の遺体に触れてしまうくらいだった。  身長約170センチの真輔さんが入るひつぎが手配できず、ひとまわり小さなものにぎゅうっと納めるほかなかった。ようやく空きを見つけた火葬場では、壁際にひつぎが積み上げられる中、番号だけで呼ばれ「さーっといってさーっと終わった」と振り返る。  「優しくてスポーツマン。お友達もすごく多かった。就職して1人暮らしを始めてからは、『友達が集まるから、鍋貸してくれ』ってふらっと実家に寄ったりしてね」。北海道への一人旅でも、根室から実家に毛ガニを送ったり、弥生さんにキタキツネのぬいぐるみをお土産に買ってきたりしたという。

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