大家族生活からドヤ街に流れた男の意外な最期
東京の山谷、大阪の西成と並び称される「日本3大ドヤ」の一つ「寿町」。 伊勢佐木町の隣町であり、寿町の向こう隣には、横浜中華街や横浜スタジアム、横浜元町がある。横浜の一等地だ。 その寿町を6年にわたって取材し、全貌を明らかにしたノンフィクション、『寿町のひとびと』がこのほど上梓された。著者は『東京タクシードライバー』(新潮ドキュメント賞候補作)を描いた山田清機氏。寿町の住人、寿町で働く人、寿町の支援者らの人生を見つめた14話のうち、「第三話 愚行権」から一部を抜粋・再構成して前後編として紹介。 【写真】私たちが忘れた「愚行権」行使する人々の生き様
とある帳場さんに紹介してもらった寿町の住人、サカエさん(70)。前編では、嫁とその連れ子、実子合わせて9人、6畳と4畳半2間で暮らしていたサカエさんが、嫁の浮気相手をアイスピックで刺し警察署に勾留されたが、起訴はされずに10日間で釈放されたところまで紹介した。今回はその後編をお送りする。 前編:私たちが忘れた「愚行権」行使する人々の生き様 ■妻と子、家族9人での暮らしから混迷の日々へ 警察の勾留が解けた後、サカエさんはミチコと子供たちを座間に置いて戸塚の畳屋で働き始めた。畳屋の社長が借り上げたアパートにひとり住まいをした。ミチコにキャバレー勤めを辞めさせたから、旧に倍する稼ぎが必要だった。
「セールスマンを雇って仕事を取ってる会社だったから、仕事はいくらでもあった。西友とかイトーヨーカ堂の催事場の仕事もあったんだよ」 スーパーの催事場で畳づくりの実演をしたのかと思ったらそうではなく、セールスマンが催事場で注文を受けつけると、サカエさんたち畳職人が客の家に派遣される仕組みだった。年末には、月80万を超える稼ぎがあったという。 だが、サカエさんのギャンブル狂いは一向に収まらなかった。実入りのよかったこの畳屋も、金銭トラブルが原因で辞めてしまった。次に勤めたのは大崎の帳元の友人に紹介された大船の畳屋だ。そこで6年間働いたというから長い方だが、この大船時代から、サカエさんの人生は混迷の度合いを深めていくことになる。