THE ALFEEと甲斐バンドのデビューアルバムが象徴するもの、共通点と相違点を語る
発売されなくてよかったかもしれない幻の1曲
青春の記憶 / THE ALFEE 1975年7月発売、THE ALFEE、当時はALFEEのデビュー・アルバムのタイトル曲「青春の記憶」。作詞が松本隆さんで、作曲が筒美京平さんですね。アルバムは12曲入りなのですが、そのうちの8曲が松本隆、筒美京平のコンビです。作曲だけで言うと、筒美さんが9曲書いている。高見沢さんが2曲で坂崎さんが1曲。この坂崎さんも名前が「坂崎幸之助」ではなくて「坂崎幸二」。作詞はどうかと言いますと、松本隆さん以外は高見沢さんが2曲、橋本淳さん、有馬三恵子さん、三宅康夫さんという名前があるんですね。この方はあまり知られてませんけど、結成時のメンバーですね。 THE ALFEEは4人で始まった。全員が明治学院大学の出身で、高校は桜井さんと高見沢さんが明治学院で、坂崎さんは東京都立墨田川高校。桜井さんが明治学院高校のときに「コンフィデンス」という、サイモン&ガーファンクルが得意なグループを組んでいて、坂崎さんがコンテストに出るためにそこに参加する。そのときに坂崎さんが組んでいたバンドの名前が、「臍下三寸」という名前だった。このへんはALFEEのファンの方はよくご存知だと思うんですけど。デモ・テープを小室等さんがやっていた文化放送の『三ツ矢フォーク・メイツ』というところに送ってきたんですね。実はこの『三ツ矢フォーク・メイツ』という番組の構成を私が担当していたんで、小室さんとのやり取りは覚えていますね。 大学に入ってから高見沢さんが「コンフィデンス」に加わって、デビューするときにALFEEになる。そういう意味ではALFEEになったばかり、どんなバンドになっていくかとか、どういう音楽活動をやっていくかということが、メンバーの会話に登る前でしょう。こんなカバーも入っているんです。「水いらずの午後」。この曲の原曲が誰か、ほとんどの方はおわかりにならないでしょうね。 水いらずの午後 / THE ALFEE この曲のオリジナルをご存知の方、どのぐらいいらっしゃるかと思うんですけども、これも作詞が松本隆さんで、作曲が筒美京平さん。オフコースが歌っていたんです。オフコースの1974年のシングル『忘れ雪』のB面ですね。『忘れ雪』も松本さんと筒美さんのコンビで、『忘れ雪』の方は小田さんが歌って、「水いらずの午後」は鈴木康博さんが歌ったというシングルで。オフコースはオリジナルをやりたいから、こういうのは歌いたくない。でも、レコード会社がこれをやらないと売れないと用意した曲で、オフコースはステージで歌ったことがないという。オフコースのキャリアの中でも、ちょっとなかなか語りにくい曲だったりするのですが、これをALFEEはデビュー・アルバムで歌っているんですね。やりたい音楽とやらせられる音楽が一致しなかった。オフコースもそうでしたし、THE ALFEEもそうだったということですね。 でも、ALFEEはそこまで自己主張があったわけでもないというのが、彼らのある意味の良さでもあるでしょうね。12曲入りで、B面の後半4曲はカバーなんですけど、南沙織さんのカバー。「ブレッド&バター」のカバー。つなき&みどりさんのカバー、全部曲が筒美さんの曲なんですよ。オリジナルを歌いたいとは思っていながら、そこまでの力が自分たちにはなかったということでもあるでしょうし、周りがそれを認めなかった。やっぱり筒美京平の歌を歌うべきなんじゃないの?っていうような話があったんでしょうね。でも、その中に高見沢さんの曲が2曲ありまして、そのうちの1曲をご紹介します。「卒業」。 卒業 / THE ALFEE 作詞作曲が高見沢俊彦さん。初めて書いたオリジナルという説もありますね。高見沢さんは「コンフィデンス」に入る前はハードロックのバンドでしたからね。ハードロックとプログレ少年。レッド・ツェッペリンとユーライア・ヒープという。彼が桜井さん、坂崎さんと出会ってハモることの楽しさを覚えた。これは今でもステージでよく話をされていますね。みんなで一緒にハモっていれば、それだけで楽しいというそういう3人だったんですね。つまり、プロのアーティスト、プロの原石というよりも本当に音楽の好きな少年だった。原石以前ということになるかもしれませんね。まだ序章にもなっていない。このときはレコード会社がビクターなんですけども、アルバムが1枚だけですね。その後に1979年にポニーキャニオンから再デビューするわけで、THE ALFEEとしてのバンドとしてのキャリアはやっぱりそこからということになりますね。 このビクターでは、次の曲がシングル候補だったんですけども、その曲が発売中止になってしまって、彼らの方からやめたという、そういう終わり方でした。発売中止になった曲はずっと幻の曲になっておりまして、レコードが手に入らなかったと思うのですが、この『青春の記憶』が再発盤として出たときにこの曲が入っていたんですよ。ですから、今日の『青春の記憶』はオリジナル・アルバムを聞き直すというよりも、再発盤を聴き直すと思っていただけると、この曲をおまけのように最後にお聴きいただくことがおわかりいただけるのではないかと思うのですが、幻の曲、もったいつけていますが、ALFEEの「府中捕物控」。3億円事件がテーマです。 府中捕物控 / THE ALFEE 1975年12月に出る予定だった、ALFEEの「府中捕物控」。作詞作曲が山本正之さん。この人は中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」を作った人。3人は楽しそうに歌ってましたね(笑)。これはレコード会社の方からこれはレコード会社の良識に合わないんじゃないかということで、発売してもらえなかった。で、ALFEEはレコード会社との契約がなくなってしまって、この後、研ナオコさんや、かまやつひろしさんのバックをやりながら、ライブハウスでやったりして。これが苦労話になってないのが、ALFEEの良さでしょうね。今でも楽しそうに話をしますね。やっぱりあれはあれで楽しかったよねって言える仲の良さ。1979年にキャニオンから出たときもアコースティック・フォークでしたからね。 1984年の「メリーアン」はキャニオンでの14枚目。そこからエレキバンド、ヘビメタとプログレという、ALFEEのもう1つのカラー、今のカラーが出来上がっていくわけですが、この「府中捕物控」が売れたら俺たちどうなっていただろうというコメントも見ることができますが、これは本音でしょうね。これがもし売れちゃったら、サザン・オールスターズが「勝手にシンドバッド」でコミック・バンド扱いされたのよりも、もっとコミック・バンド扱いされたでしょうからね。発売されなくてよかったかもしれませんね。やっぱりそういうことも必要なんだなと思わせてくれる、幻の1曲でありました。