爪と肉のあいだに針を刺され…戦前、共産主義者が「獄中」で味わった「信じられない苦しみ」
「非転向の共産党員」
9月12日は、戦前、戦後を生きた共産主義者・徳田球一の誕生日です(1894年)。 徳田球一・志賀義雄『獄中十八年』(講談社文芸文庫)は、戦前、徳田(とその同志の志賀)が獄中にあったときの経験などを、本人の語りをもとにまとめたもの。 【写真】徳田球一、こんな顔だった 共産党に所属していた徳田は、1920年代後半に検挙され、それ以降17年半にわたって獄中にありました。 周囲の共産主義者が、それまでの思想を捨て去り「転向」するなか、獄中にあっても共産主義を奉じつづけた徳田は、太平洋戦争の終結後、監獄から出てくると、非転向をつらぬいた「英雄」として扱われるようになります。 こうして「獄中非転向の共産党員」が人気となるなか、本書の初版は1947年に出版されました。 本書で描かれる徳田の経験は、臨場感に満ちたものです。たとえば、1928年に検挙されたときの様子。検挙は、徳田がこの年の総選挙に小倉市から立候補し、惨敗した直後でした(改行など一部編集します)。 〈わたしは二月の二十六日に門司の駅まえの床屋で髪をかり、それまでたくわえていたひげをおとしたりして大いに扮装をこらし、店をでようとするところをつかまった。そのまま東京へ護送され、二十八日に高輪署の留置場へほうりこまれた。途中は厳重な警戒で、車中は三人の刑事がつきそい、横浜で下車して、それから京浜電車で品川へむかった。東京もちかいので、そうそうにげようとおもったが、品川へつくと三十人ほどの刑事や巡査がわたしをとりまき、どうしてもにげるすきがなく、そのまま高輪署へおくられた。〉 その後、逃走をくわだてて、警察の自動車から飛び降りようとしたりしますが、やがて警視庁に送られます。そこで徳田は、恐ろしい拷問を受けることになるのです。 〈警視庁には一ヵ月ほどおかれた。爪と肉のあいだに針をさしたり、いろいろごうもんをくわえてきたが、こちらはつかまれば死ぬ覚悟だから、断じていわなかった。すると敵がわは、スリのちょっと気のきいたやつをわたしの監房に入れた。わたしたちは独房におくのだが、スリを一しょに入れて、これをとおしてなにかと聞きだそうというわけだ。〉 その後、監獄に入ってからについては、周囲で仲間が転向していく様子や、そこで同志を見つけていくさま、あるいは、同志が亡くなっていく姿などがつぶさに描かれます。 戦中、共産党や共産主義者がどのような弾圧を受けていたのか、獄中の経験とはどのようなものなのか、そして、極限状態に置かれた人間がなにに希望を見出し、なにに絶望するのか……本書は、さまざまなことをおしえてくれます。
群像編集部(雑誌編集部)