高尾駅から歩いて登れる穴場の山城・初沢城、凄い堀も土塁もないけれど戦国初期のスタイルを伝える貴重な城
(歴史ライター:西股 総生) ■ よく踏まれていて歩きやすい山道 京王線高尾駅のホームに立つと、いかにも山城らしい感じの山が正面に見える。これが初沢(はつさわ)城だ。 【写真】京王線高尾駅のホームから見た初沢城。画面左手の中腹に天神社が見える 高尾駅の南口(京王線側)を出て「みころも霊園」の方に歩いてゆくと、金色の巨大な霊廟の右手に、菅原道真公の銅像の立つ天神社がある。ここまで駅から徒歩10分くらいだから、山城としてはかなり便がよい。 お社の裏手から山道が上がっているが、よく踏まれていて歩きやすい。スニーカーでも苦もなく登れるだろう。登山スタイルで登っても、うっかりすると大事故になりかねない八王子城とは、同じ八王子市内の山城でも大違いだ。 天神社の裏手から山道に入ると、すぐ右手に踏み跡がついているので登ってみよう。小広く開けた平坦地があって、よくみると空堀がめぐっている。攻めてくる敵を迎え撃つための、前哨陣地のような曲輪なのだろう。 曲輪の裏手から進む山道は、すぐに二手に分かれる。どちらを行っても同じだが、城の造りを理解したいのなら、右手のゆるやかな道をおすすめする。道は、山頂から下ってくる尾根に沿って進むが、尾根上に何か所か見張り場のような小さな平坦地がある。 おそらく、数人の城兵が待ち構えていたのだろう。前哨陣地を突破し山道を攻め上ってくる敵に対し、矢を射かけたり石を投げたりして、敵がひるんだらサッと後退する。そんな戦い方を想定したものだろう。単純だが、効果的な防戦法だ。 さらに登ると、もう少しはっきりと整形した小さな曲輪がある。よく見ると、ここから東側に枝尾根が派生していて、小さな堀切を2本入れてある。下から後退してくる味方の兵を援護しつつ、枝尾根に回り込む敵を警戒しているわけで、やはり単純だが理にかなった造りをしている。 ここから山頂の主郭へはひと登りだ。山頂部には、戦時中に軍の防空施設が置かれた関係で、余計な道が開削されていたりするが、山城らしい雰囲気は充分に残っている。 初沢城の歴史ははっきりしない。16世紀はじめ(永正年間)、山内上杉氏と扇谷上杉とが抗争を繰りひろげた際の史料に見える「椚田(くぬぎだ)の要害」が、この山城を指しているらしい。初めは扇谷方の拠点だったが、山内側が攻勢をかけた際に奪取して、山内側の拠点となっていたらしい。こういう城は、歴史的な詮索はともかくとして、素直に城歩きを楽しむのが正解だろう。 主郭から稜線を南に50メートルほど行ったところが、二ノ曲輪だ。主郭と二ノ曲輪との間には3箇所ほど堀切の跡がある。後世の道で埋められているので、見落とさないように気を付けよう。全国各地の有名な山城や凄い山城をたくさん歩いても、こうした遺構を見落としてしまうようなら、城歩きの経験をいくら積んでも空しいことだ。 二ノ曲輪の南側は水道施設ができて地形が失われているが、南西側には三ノ曲輪が残っている。このほか、主郭の西下や主郭から北に下る尾根に堀切が残っているが、藪が厳しいし、普段人の入らない場所で何かあると命に関わるから、藪漕ぎに自信のある方以外は決して無理をしないこと。 初沢城は、「おおっ」と唸るような凄い堀も土塁もないけれど、駅から直接かつ楽に登れる山城だし、戦国初期のスタイルを伝える山城としても貴重だ。こういう城を素直に楽しめてこそ、「大人の城歩き」ではないか? などと、筆者は思ってしまうのだが……。
西股 総生