グラビアも話題、高鶴桃羽の波乱万丈な半生「ウクライナ侵攻で砕かれたバレリーナへの夢」
高校1年生の時にスカウトされて
「志望していた中学校に合格して、これからは本気でバレエに力を入れようと意気込んで出場したコンクールで留学の権利をいただいて、中学1年生で初めて短期留学をしました。そのときはスイスに行ったんですが、海外の同い年ぐらいの子たちのレベルの高さを目の当たりにして衝撃を受けました。 その子たちはバレエ学校に通っているので、意識も高くて、四六時中バレエのことを考えて、365日踊っているんです。そこで私は狭い世界しか見えていなかったんだと気付いて。またスイスに戻ってきたときは、この子たちと張り合えるぐらい、できることなら上回れるぐらいの実力をつけるために、日本で修業を積もうと思いました」 いろんな国でバレエを学んで、その国ごとのカラーや良さを吸収して、自分なりのスタイルを構築しようと、中学時代はスイス以外にも、ベルギー、チェコに短期留学をした。芸能の世界と接点ができたのも高校時代だった。 「高校1年生のときに、コンクールでお世話になったバレエ協会の偉い方から、『舞台に出てみないか』と声をかけていただいて、初めてバレエのお仕事をいただいたんです。有望な若手を集めて作る舞台だったんですが、全国から若い子が東京に集まって、練習を重ねて、舞台に立つというのは刺激的なことでした。その舞台の最終日を終えて、東京観光していたときに、今の事務所の方にスカウトしていただいたんです」 バレエも役を演じるというところで芝居に共通する部分もあり、ドラマや映画を観るのが大好きだった。ファッション誌を定期購読するぐらいモデルにも興味があった。理想の女性として石原さとみと菜々緒に憧れを抱いていたところ、スカウトを受けた事務所には菜々緒が所属していた。 「声をかけていただいたときに、もしかしたら私には芸能という道もあり得るんだと興味が湧いて、その気持ちをお母さんに伝えたんです。お母さんは『将来の選択肢は幾つあってもいいんだから』と受け入れてくれました。ただバレエ留学も決まっていましたし、『今はバレエを頑張りたい時期ですが、芸能活動も視野に入れさせていただきます』と事務所の方に伝えたら、『いつでも待っているよ』と言ってくださったので、安心してバレエに打ち込みました」 高校3年生になって、初めて長期留学をすることになった。場所は憧れの地だったロシア。 「小学生の頃からロシアのバレエ団が日本公演をするときは観に行っていましたし、バレエをやっている子は誰しもロシアに憧れを抱いていました。現地では英語も伝わらなかったですし、文化の違いもあったので戸惑うことも多かったんですが、日本人の先輩もいたので、いろいろ助けてもらいました」 世界最高峰とも言われるロシアのレベルは高かったが、全く手が届かないという訳ではなかった。