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【再配信】アラン・ドロン、ドヌーブ… 高田賢三の名優秘話

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NIKKEI STYLE

日本を代表する世界的ファッションデザイナーでブランド「KENZO(ケンゾー)を創設した高田賢三(たかだ・けんぞう)さんが10月4日、新型コロナウイルス感染症のため亡くなりました。享年81歳。NIKKEI STYLEにだけに話していただいた秘話をあらためてお届けします。(初公開日は2018年5月11日) この記事の写真はこちら

 パリのファッション界で活躍を続けてきたデザイナーの高田賢三さん。2017年12月に刊行した『夢の回想録 高田賢三自伝』(日本経済新聞出版社)では故郷の姫路市や上京後の東京で映画館に通い詰めた懐かしい記憶や映画ロケにエキストラ出演した思い出、初めてメガホンを執った自作映画『夢・夢のあと』の体験談などが興味深くつづられている。  「服作りを映画が支えた」と語るほどの映画好きだった高田さんに、自伝では触れられていない映画にまつわるエピソードや秘話、理想の男性像・女性像などについてインタビューした。 ■姉の影響で恋愛映画に夢中、美意識の土台に  ――少年時代から相当な映画好きだったようですね。  「姫路市内に映画館がいくつかあって、いつも入り浸っていました。少女趣味だと笑われそうですが、2人の姉と年齢が近かったせいか、女性が見るようなラブストーリーが大好きで、洋画だと『若草物語』『子鹿物語』『風と共に去りぬ』、邦画だと『野菊の如き君なりき』などに夢中になっていました。理想の男性像として初めて意識したのは映画『ロミオとジュリエット』でロミオを演じた俳優ローレンス・ハーヴェイ。ハンサムだけどやや暗い陰があるところに引かれ、英語でファンレターを2度も送ったことがあります」  ――ファッションデザイナーとしての美意識にも映画から影響を受けましたか。  「大いに受けました。白馬に乗って現れる王子様に憧れるという美意識はいつも心のなかにあります。後にパリでデザイナーとして活躍するようになってから、実際のファッションショーに本物の白馬を登場させたこともあるほどです。ただ、理想の男性像は時代ごとに変わるもの。ローレンス・ハーヴェイの後はアラン・ドロンに熱を上げました。『お嬢さん、お手やわらかに!』あたりから気になり始めて、『太陽がいっぱい』『若者のすべて』ですっかりとりこになってしまった」 ■雑誌のA・ドロン取材に便乗、モロッコの会食で友人に  「東京で働き始めたころ、雑誌のインタビューにこっそり便乗し、来日したアラン・ドロンに会いに行ったこともあります。すごく緊張して、黙って顔を見ているだけでしたが、『世の中にこんなにきれいな顔をした男性がいるんだ』としきりに感心した覚えがあります」  ――今ではアラン・ドロンと親友だそうですね。  「僕がバカンスをよくヨットで過ごすのは『太陽がいっぱい』の影響が大きいんですよ。友人としてかなり親しくなったのは十数年前。知り合いのインテリアデザイナーがモロッコ北部タンジェに持っている別荘で開いた食事会で偶然、同席したのがきっかけです。以来、徐々に親しく付き合うようになり、文化イベントなどで一緒になる機会も増えました。すごく和食が好きで、僕がパリでサポートしている和をイメージしたレストラン『TOYO』もひいきにしてくれています。先日はジュネーブで開いた慈善イベントにアラン・ドロンが僕をメーンゲストとして招待してくれました」 ■A・ヘプバーンは別格、映画自体がファッションショー  ――映画に登場する女性では誰が理想ですか。  「『旅情』のキャサリン・ヘプバーン、『慕情』のジェニファー・ジョーンズもいいですが、なんと言ってもすてきなのはオードリー・ヘプバーンですね。『麗しのサブリナ』『昼下りの情事』『パリの恋人』『ティファニーで朝食を』『シャレード』……。とにかく衣装が素晴らしくて別格です。デザイナーの巨匠、ユベール・ド・ジバンシィが衣装の多くを担当しましたが、映画自体がまさにファッションショー。女優として有名なミューズ(女神)は、ジバンシィにとってのオードリー・ヘプバーン、それから、イブ・サンローランにとってのカトリーヌ・ドヌーブ。これが東西の横綱じゃないでしょうか」  ――賢三さんにとっての永遠のミューズは誰でしょう。  「うーん、そうですね……。残念ながら、僕にはいないようです。僕は1人の客から注文を受けて服を作るオートクチュール(高級注文服)の仕事がどうしても苦手なんですよ。だから、不特定多数の客を相手にするプレタポルテ(高級既製服)のデザイナーになったくらいですから」 ■C・ドヌーブの衣装を断る、見つかった「幻の映画」の脚本  「でも一度だけせっかくカトリーヌ・ドヌーブの映画衣装のオファーが来たのに、断ってしまったことがあります。イブ・モンタンと初の共演作となった1975年公開の『うず潮』という映画でした。次のファッションショーに向けた服づくりがすごく忙しかったし、僕は器用な方ではないので、映画衣装までとても手が回らなかった。今から考えるともったいないことをしたなと思います」  ――1965年に渡仏してからも映画はよく見ていたのですか。  「渡仏してからパリでデザイナーとして独立するまでの5年間は、洋画よりも、むしろ邦画をよく見ていました。フランス語が不自由なので、フランス映画のセリフがよく聞き取れなかったためです。黒沢明監督や小津安二郎監督の作品はパリでも人気でよく見ましたが、個人的な好みで言えば、溝口健二監督や成瀬巳喜男監督の世界の方により魅力を感じます。特に溝口監督が幽玄の美を描いた『雨月物語』には大きな影響を受けました。もともと姫路城の城下町で育ちましたし、実家が花街の待合だったので僕にはとてもなじむ世界でした」  ――監督として映画『夢・夢のあと』を制作し、1981年に公開しましたね。  「あの映画は、実は『雨月物語』の世界観をヒントにして制作したんですよ。敏腕映画プロデューサーの藤井浩明さんが仕掛けた作品で、熱心に僕を口説き続け、熱い情熱で映画制作に駆り立ててくれました。興行的には成功せずに迷惑をかけてしまいますが、藤井さんはその後も懲りずに次の映画制作を持ちかけて来た。その原作が、同性愛を描いた三島由紀夫の小説『禁色』。結局、準備に時間がかかって実現しませんでしたが、先日、自宅の書庫を整理していたら、なんと、その未完に終わった脚本が出てきたんですよ。南仏を舞台にしたバージョンと、日本を舞台にしたバージョンの2つありました。まさに『幻の映画』の脚本です」  ――映画と服作りには何か共通点はありますか。  「ファッションショーでは世界観やテーマを切り口に服作りの思考を深め、作品を生み出しますから、どちらにも根本では共通のものがあると思います。僕は少年時代から数多くの映画を見続けてきましたし、映画だけでなく、宝塚歌劇や歌舞伎、浄瑠璃、オペラも見てきた。これらすべてが僕の美意識を作り、服作りの土台を支えてくれたような気がします」■坂本龍一『ラストエンペラー』、本木雅弘『おくりびと』…  ――最近の映画では何を見ましたか。  「あまり多くの作品は見ていませんが、ルカ・グァダニーノ監督の『君の名前で僕を呼んで』は強く印象に残っています。北イタリアの避暑地を舞台に2人の青年の愛を描いた作品で、映像も会話もとてもきれいで美しかった。役者もいい演技をしていました」  ――日本人の俳優だと誰がいいですか。  「俳優というよりは音楽家として有名ですが、坂本龍一さんが好きですね。ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』の甘粕正彦役がとても良かった。知的で端正な顔立ちだし、少し陰があるところも魅力的です。この3月にパリの中華レストランで一緒に食事して、ゆっくり話す機会がありました。改めてお会いしても、やはり魅力的な男性だと感じます。もし彼のような才能と一緒に仕事できたら、どんなにうれしいことかと思います」  「それから本木雅弘さんもとても良い俳優ですね。アカデミー賞外国語映画賞に輝いた『おくりびと』での納棺師の役が素晴らしかった。あの居ずまいの正しさ、すがすがしさ……。見ていてとても気持ちがいい。日本にもすごい俳優が出てきたなと期待が高まります。とにかく映画は人類にとっての大切な財産。これからもずっと良い映画を楽しんでゆきたいと思います」

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