エリザベス女王、夫の叔父の悲報…サッチャー首相との違いとチャールズ皇太子の涙
エリザベス女王の在位70年余のなかで、初の女性の首相として、英国をさらなる高みにまとめあげたマーガレット・ヒルダ・サッチャー。生まれが半年違いの同世代で、共通点もあるが、意見の違いももちろんある。そんなサッチャー首相の存在が、女王と英国に与えた影響について3回に分けてお送りします。 わたなべ・みどり●ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』など著書多数。 『婦人画報』2013年6月号より
エリザベス女王とサッチャー首相、あまりにも違うテロへの反応
文=渡邉みどり ※こちらの記事は、『婦人画報』2013年6月号より転載しています。 サッチャー首相の就任から約4カ月後、英王室にとっての大事件が起こる。 1979年8月27日。IRA(アイルランド共和国軍)のテロリストが、夏休みで休暇を満喫中のマウントバッテン卿の釣り船「シャドー5世号」に爆弾を仕掛けた。場所はスコットランドの、アイルランド国境に近いスライゴ郡マラックモア海岸。一家を乗せた釣り船がエビ漁に出かけ、仕掛けておいたつぼを海から引き上げた直後にその爆発は起こった。船は木っ端微塵に吹っ飛び、マウントバッテン卿と14歳の孫、操縦者のアイルランド青年の3人が即死した。 卿の娘とその夫も瀕死の重症を負い、母は翌朝に亡くなっている。その後テロリスト達は遠隔操作で2つ目の爆弾を爆発させ、駆けつけた英国ヘリコプター部隊にも18人の犠牲者が出た。 爆死したマウントバッテン卿は、エリザベス女王の夫・エディンバラ公の叔父に当たり、女王夫妻の“結びの神”的存在だ。第2次世界大戦では、東南アジア連合軍総司令官として日本軍を降服に追い込んだ海軍大将であり、英国支配下の最後のインド総督も務めた。] <写真>2012年にエリザベス女王のダイヤモンドジュビリー(在位60周年)を祝うために設置されたロイヤルファミリーの巨大な写真。1977年のシルバージュビリー(在位25周年)のお祝いの際の写真が使用された。エリザベス女王の左にフィリップ殿下、右にマウントバッテン卿が立つ。