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常識を覆す脅威の19歳、久保建英は中田英寿、本田圭佑を超えられるのか?

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THE DIGEST

 久保健英の1年目が終わった。  35試合4ゴール4アシストは、10代のプレイヤーが最初のシーズンに残した記録としては十分だろう。きっと数字以上の手応えを得ただろうし、この経験は、来季の彼のプレーにも必ず繋がるものだと思う。  最初のシーズンを終え、久保が今後、日本のエースとして君臨した中田英寿や本田圭佑という存在を越えていけるのだろうか――。  中田や本田が乗り越えてきたものは、カズでもないし、中村俊輔でもない。  それぞれの時代において、それまで考えられていた日本人のレベルや常識を覆す活躍した結果、ぞれぞれの地位を築いていった。  中田は日本人の海外移籍の黎明期、セリエAのペルージャに移籍し、開幕戦のユベントス戦で2ゴールを挙げた。イタリア人からすればアジアの遠い国からやってきた若武者がいきなり強豪相手にゴールをブチ込んだのだ。こんな痛快なことはなく、中田のファーストインパクトは、とてつもなく大きかった。その後も一発屋では終わらず、最初のシーズンで10得点を挙げ、継続して力を発揮することで評価を高め、2000年にはローマにステップアップ移籍を果たした。中田は特別な試合、特別な状況、特別な相手との戦いの中で最高の結果を出し、「世界のナカタ」になった。  本田は、南アフリカ・ワールドカップ大会直前までは中村俊のサブという位置づけで、世界的にもまだ有望な若手に一人に過ぎなった。しかし、岡田武史監督の大胆な戦術変更によりW杯本番で、1トップに抜擢。危機的な状況で迎えた初戦のカメルーン戦で決勝ゴールを挙げ、一躍ヒーローになった。大舞台での活躍する運も力も持っていたのだ。その1点で、アッという間に本田の名前が世界に浸透し、CSKAモスクワの移籍を勝ち取った。その後も代表では主軸、そしてACミランへの移籍を実現し、10番を背負うまでになる。  ただ、中田と本田は常に先が見えない中で勝負の連続だった。自分の価値を高めることができなければ終わり、という状況でプレーし続けた。そうしてある意味、成り上がっていった。

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