sumika片岡健太インタビュー 初の書き下ろしエッセイで感じた音楽との共通点「バラードを書くのと同じ心境だった」
「今、日本で最も優しい音を奏でると言われる人気バンド、sumikaのフロントマンである片岡健太の初著書『凡者の合奏』(ぼんじゃのがっそう)が発売。全編書き下ろしの本書は、片岡自身を全てさらけ出した、ファン必携の内容。制作の経緯や内容について、sumikaを長く取材してきた音楽ライター蜂須賀ちなみがインタビュー。 【写真】sumika片岡健太のインタビューの様子 ――「凡者の合奏」、楽しく拝読しました。片岡さんがギターを始めた頃のエピソードで、Aマイナー、Gメジャー、Fメジャーのコードを“カレー→ラーメン→アクアパッツアぐらいの難易度の急上昇”と喩えていたのがユニークだなと思いましたし、「私もアクアパッツアで挫折したなあ」と共感しました。 片岡:あはは。Fメジャーはムズいですよね。それに、なかなか乗り越えられない壁がどこかのタイミングで現れる“アクアパッツァ現象”ってギターに限らず結構ある気がします。 ■今回の本は自分の取り扱い説明書 ――片岡さんにとっての初の著書、どんな作品になったと思っていますか? 片岡:“自分はこういう人間で、こういうことが起きた時にはこうやってトラブルシューティ ングしてきました”ということを書いたので、バイオグラフィでもあるけど、自分の取り扱い説明書のようなものにもなった気がしますね。そういうものを自分自身が見られるのがまず嬉しいし、sumikaを知らない方にも手に取ってもらえる形で出版できるのも嬉しいです。 ――片岡さんは普段どういった本を読みますか? また、執筆にあたって、他の方のエッセイを読んだりしましたか。 片岡:小説も絵本も読みますし、ビジネス本も好きなんですけど、書いている最中に他の人のエッセイを読むことはありませんでした。作っている途中で人のものを読んだら、無意識に真似てしまうんじゃないかと思ったので。ただ、執筆前にバーッと本を読んだ期間があって、特に又吉(直樹)さんのエッセイは助けになりました。又吉さんのエッセイってそこに一切の嘘もなければ、誇張もなく、自分を卑下しすぎることもないんだけど、等身大のものがとにかく面白いんですよ。「絶対に笑わせよう/泣かせよう」と狙いすぎず等身大で書けばいいんだということと、「事象ではなく心象を書けばいいんだ」ということは、又吉さんのエッセイを読んで分かったことです。 ――執筆のきっかけを改めて伺いたいのですが、やはりKADOKAWAさんから声がかかったことから始まったのでしょうか? 片岡:そうですね。担当編集の伊藤さんから「片岡さん、ご自分の半生を書いてみませんか?」というお誘いを受けたんですが、いつもsumikaのライブ写真などを撮影してくれているヤオタケシくんが、僕と伊藤さんを繋げてくれたんです。伊藤さんとは、去年11月のさいたまスーパーアリーナ公演の終演後に初めてちゃんとお話ししたんですけど、その時に「こういうバンドで、こういうところがいいと思っています。だから改めてお願いしたいです」と熱く伝えてくださって。sumikaのバイオグラフィや、ミュージシャンとしての僕のことをちゃんと知ってくれたうえでそう言ってくれているんだとお見受けしたので、信頼してお受けしました。 ――この本にも書かれているように、片岡さんのこれまでの歩みは決して順風満帆ではなかったけど、順調にいかなかった部分も含めて「本に書いてほしい」とオファーされていると思ったということですね。 片岡:はい。バイオグラフィ上一番分かりやすいのは、2015年に僕の声が出なくなってしまい、sumikaの活動が止まってしまったところだと思うんですけど、そういった紆余曲折を経て今のsumikaがあるというところを見てもらえていると思いました。だからこそ“あの時言えなかったこと”が書けるし、書くべきだなと思ったんです。それは僕自身いつかやらなきゃいけないと思っていたことでもありました。 ――確かに今回初めて語られる内容もありますね。いつかやらなきゃいけないなと思っていた、というのは? 片岡:sumikaには「すごく楽しそうにバンドをやっていて、みんなずっと笑っているよね」というパブリックイメージがついている気がするんですよ。レコード会社や事務所はsumikaのいいところを切り出してプロモーションしていくから、そういうものが武器だと発信するのはすごく真っ当なことだと思うんですけど、一方で、僕自身そんなに順風満帆に生きてきたわけではないし……若干違和感があったんですよね。 ――パブリックイメージと実際の自分が乖離しているように感じたと。 片岡:俺らは何も変わっていないし、未だにラジオやライブのMCで下ネタとか言っているんですけど(笑)、聴いて下さる方の総数がここ数年でどんどん増えているから、遠くまで濃いまま伝えることの難しさを感じていたんです。例えるなら、ライブに来てくれた人が「MCでは超くだらない話をしていたけど、演奏は熱くて、熱血って感じ。でもやっぱり爽やかだった」と誰かに話したとしても、いろいろ端折って「爽やかだった」ということになっちゃって、それが伝聞されていっているような。誤解されないために、いつか自分の口から「今の自分はこういうことから出来上がっていますよ」と伝えられたらいいなあとぼんやり思っていたところ、今回のお話をいただいたんです。 これまで言えなかったことをさらけ出せた ――「はじめに」では“いただけるお仕事の量が年々増えて、その度にバンドの歴史は良い感じに更新され、「散々失敗して迷惑をかけてきたのに、人様の前でこんなに笑っていていいのだろうか」と心の奥に抱えていたモヤモヤがどんどん大きくなっていた”と書いていましたね。今作を書き終えたことによってモヤモヤは解消されましたか? 片岡:はい。自己満足ですけどね。“隠していたわけじゃないけど言っていなかったこと”って誰しもあるじゃないですか。そういうものは年月が経つほど溜まっていっちゃうけど、この本を書いたことによって一気に清算できた気がします。しかもそれが、バンドの10周年へ向かう年に突入したタイミングだということも僕にとって気持ちのいいことでした。あと、そんなことない方がいいんですけど、例えば僕らがスキャンダルを起こしたり、起こさなくてもあることないこと書かれてしまったりして、今後大ダメージを負ってしまう可能性もゼロではないじゃないですか。そういう時に「いや、そもそもこういう人だよ」「そんなに完璧な人ではないよ」と説明してくれる人が現れるのではないかと淡い期待も抱いています。 ――自分の中だけにあった物語を外部に託す営みでもあったんですね。今のお話からは読者に対する信頼が伝わってきましたが、「おわりに」にも書かれているように、著者と読者が1対1になれる本の上だからこそ“ここでなら語れる”という感覚もあったんでしょうね。 片岡:そうですね。例えば誰かに対して「うーん」と思うことがあった時に、それをみんなに向けて言っちゃうと悪口になるけど、1対1であれば相談になることもあるし、「本当はこうしたいと思っているんだけど」と誤解を恐れずに言えるじゃないですか。そういうふうに、1対1で話すべき内容とみんなの前で話すべき内容はやっぱり違うと思うし、居酒屋で膝を突き合わせて飲むくらいの距離感、信頼感がなければ話せないことを書かなければ意味がないなとも思ったんですよね。本は基本的に1対1だし、そもそもこれだけの文章量を読んでくれるなんてとんでもないことだから、“そうであれば、言える”ということはたくさんあるなと思いました。 ――執筆期間はどのくらいでしたか? 片岡:3ヶ月半くらいですかね。まず、チームのみなさんと全体のマッピングをしたあと、去年の12月くらいに「一話目のサンプルを書きましょう」という話になったんですよ。それでサンプルを出したら、赤字だらけになって、けちょんけちょんに言われて……(笑)。その後、年が明けてから本格的に書き始めたんですけど、年末にチームのみなさんから「こういうふうに書いたらいいよ」と話してもらえた分、そこからは早かったです。4月半ばに全部書き終えました。 ――その3ヶ月半の間にはsumikaのライブや楽曲制作もあったので、お忙しかったのでは? 片岡:音楽をやっている時間以外はずっと文章を書いていましたね。sumikaの10周年が終わったあと、バンドをどう進めようかと考えたときに、漠然と「何かを終わらせないと何かが始まらない」という気がしたんですよ。それはバンドを休止・解散するという話ではないので、「そのためには何をしたらいいだろう」とぼんやり考えていたところ、そもそも今日の帰り道に死ぬかもしれないし、“終わりが先にある”という思想自体が間違っているなと思って。そこでに「そんな可能性があるのにまだ言えてないことがあるなんて嫌だ!」と思えたからこそ、「今生きているうちにやらなきゃ!」と頑張れたのかもしれないです。 ■本を書くのはバラードと似ている ――なるほど。片岡さんはsumikaのほとんどの曲の作詞を行っていますが、歌詞を書くのとエッセイを書くのではどういうところが違いましたか? 片岡:作詞の場合は音がつくし、ライブなどCD以外でも補完できる場所があるんですけど、今回は文章だけで完結させないといけないというのが明確な違いでした。歌詞の言葉をチョイスしているときは、心のどこかで「伝わる人にだけ伝わればいい」、「歌詞だけでは伝わらなかったとしても、音があるしね」と思っているんですけど、今回は、小学生や年配の方にも伝わる言葉選びを心がけましたね。あと、歌詞の場合は1曲単位でキャラクターを変えられるけど、本の場合は1冊通して人格を切り替えられないという違いもありました。曲の場合はキャラクターがたくさんあることが良さにも繋がるんですけど、本という1冊のパッケージの中では「この人、言っていることがコロコロ変わるなあ」という脆さになってしまうので。 ――ということは、ある意味逃げ道のない作業だったんでしょうね。それに、音楽制作ではバンドのメンバーがいますが、今回は片岡さん一人で自分の内にあるものを掘り下げていく作業だったかと思います。 片岡:おっしゃる通りです。音楽と似ているなあと思ったところが一つあって。書いている時の心境が、バラードを書いている時と同じだったんですよ。 ――というと? 片岡:バラードを書いている時って、メンバーに相談してもいいものができない場合が多いんです。それはなぜかというと……バラードって基本的には“私からあなたへ愛を伝えます”というものじゃないですか。“私からみなさんへ”だと途端に嘘臭くなる。だから1対1の世界で向き合わなきゃいけないし、聴いてくれる人1人に対してメンバーが4人だと、4対1になるからおかしくない?という話になるんですよね。だからバラードを書く時は孤独になる必要があるんです。この本を書いているときはずっとバラードを書いているような気持ちでした。 ――バラードを書く時と同じマインドで臨めばいいんだとどこかで気づけたからこそ、短い期間で書き上げることができたのかもしれないですね。 片岡:そうですね。編集に携わってくださったライターの方が「文章を書く人は基本的にみんな孤独ですよ」と言っていたのが印象に残っているんですけど、早い段階で心構えを教えてもらえたのはかなり大きかったと思います。 ――文章を書くことを通じて半生を振り返る作業はいかがでしたか? 片岡:頭の中にあるだけではちゃんと浄化しないんだなと思いました。今回は、これまでの人生から今の自分に結びついている出来事だけを抽出して、その時のエピソードや当時自分が思ったこと、そして今の自分にどう結びついているかということだけを書いているんですけど、今の自分に結びついていることってだいたいが失敗なんですよ。トラウマになっていたから、頭の中で考えているだけだと「黒歴史だからもう思い出しません」「昨日のことは忘れて今日を生きていきましょう」というふうに蓋をしてしまう。だけど今回はそういった失敗を深堀りしていく作業だったので……めちゃくちゃきつかったんですけど、その過程で「実はこういうふうに今の自分に結びついていたんだ」と気づくことができたので、黒歴史が白い歴史になって浄化されていく感じがありました。“おじゃまぷよ”だらけだったぷよぷよが一気に全消しされたみたいな(笑)。 ――セルフセラピーのようですね。 片岡:そう、まさしく。書いている途中で「ああ、これはちょっとずつ浄化されていっているんだ」と分かってきて、「こんなことを書いていいんだろうか」とも思ったんですけど、ライターの方から「片岡さんにはカタルシスが足りません」と言われて(笑)。僕、自虐する癖があるんですけど、それって結局逃げなんですよ。でも、そうではなく、真っ当に向き合って、真っ当に浄化させることの大事さを書く本だと言われて、本当にその通りだなと思いました。 ■山頂に着くよりもその途中の景色がすき ――書籍の終盤ではsumikaの話も出てきますね。結成当初は「人生を賭けるバンドはこれで最後にする」という想いから、2年というデッドラインを決めたうえで目標に向かって活動していたけど、今はバンドを続けることが目標なんだと書かれていたのが印象的でした。“ここまで全力で走りきる”と決めていた結成当初と、ゴールのないマラソンを走っているような今では、後者の方がどうしてもモチベーションが低下しそうですが、sumikaは現在進行形でバイタリティ溢れる活動を続けています。なぜそれが可能なのか、不思議に思いました。 片岡:それは都度都度メンバーと話し合っていることが大きいと思うんですけど……あるタイミングでゴールテープのようなものが見えてきたとしたら、一旦そこをゴールとして認めつつ、「でもここは本当のゴールじゃないです」という設定を毎回自分たちでするようにしているんです。「あとちょっとで3000mの山を登りきれるなあ」と思っても、「いや、てっぺんはここじゃないですよ」「実際は4000mです」と自分らで言ってしまえば、そうなるものなので。なので、僕らは多分、おじいちゃんになっても山を登りきれないまま終わるんでしょうね。じゃあ、自分が音楽人生を終える時に、何が幸せだったと思うのかというと、それは“登り続けた”ということなんですよ。山頂に着きたいからバンドをやっているわけではなくて、山を登りながら景色を見るのが好きだからバンドをやっている。だからsumikaはトレッキング集団なんです(笑)。 ■“無駄”の数が増えるほど、本当に大事なものが見つかる ――書籍内では“失敗は悪”という風潮に対する危機感も書かれていましたね。 片岡:早く山頂に着いて、その景色を写真に撮った人が勝ちという風潮を感じているんですよ。だから「山登り中に1回でも転んだら負け」というふうになるし、失敗した人に対する風当たりが強すぎるとここ数年特に感じていて。そうなると「リスクも伴うし、山を登っている時間なんて無駄だよね」「平らな道を歩いている方がいいよね」と思うようになってしまいますよね。でも僕は、“無駄”の数を増やせば増やすほど、本当に大事なものが見つかるんじゃないかと思うんです。さっきも言ったように、この本には今の自分を構成する出会いだけを書いているけど、もちろん僕も「これは良くない出会いだったなあ」と思うことはあるし、お金も時間も気持ちもたくさんすり減らしたのに、結局は何も残らなかったという経験もたくさんありました。それも全部書いていたとしたら、多分6400ページくらいの本になるんじゃないかな。でも、その膨大な“無駄”があったからこそ、たまに出会える「この人だけは逃しちゃいけない」という人が分かるようになっていったんですよね。だから、今あえて“無駄”って言いましたけど、実はそれらは無駄ではない。分母を増やしたうえで選んだ“1”は強いんだということは、曲にもしょっちゅう書いていますけど。 ――「グライダースライダー」や「Lovers」ですね。 片岡:そうそう。だから“山登り楽しい勢”からしたら「山なんて登りたくないよね」という考えは非常にもったいないと思ってしまうし、「山って楽しいんですよ!」と伝え続けていきたい。転んだ人に対して「そういうこともあるよね」と寄り添えたり、「そうやってできた傷は勲章ですよね」と伝えられるような世の中になればいいなという気持ちがあります。 ――“失敗は悪”という風潮を変えたいと思うのは、今生きづらさを感じている人のためですか? 片岡:それもありますが、自分たちのためでもあります。「山を登っているやつはダメだ」という風潮になると、山登りが好きな僕らの居場所がなくなるので。 ――なるほど。 片岡:これは余談ですけど、軽音楽部のコーチとして自分が卒業した高校の非常勤講師をやっていた時期があったんですよ。だから講師を辞めてからも定期的に「今の高校生たちは音楽を楽しめているだろうか」と考えちゃうんですけど、2020年の出来事をきっかけにいろいろなことが大きく変わってしまったんじゃないかと思っていて。「人と出会わない方がいい」、「オールインワンで何でもできる人材でなければならない」という風潮が強くなってしまうと、人との接点がどんどんなくなってしまうし、「一緒に音楽やろうよ」と言う人は疎ましい存在になっちゃうのかなと。僕が通っていた高校でもバンドを組む学生が出てこないような世界になると……過去の自分がいなくなっちゃう感じがして寂しいですよね。高校生の頃の自分がこの本を読んだ時に「誰かとバンドをやりたいな」と思えるかどうかというのは、僕にとって大事なポイントでした。