史上初、入獄した元法務大臣の河井克行氏が見た刑務所の世界 「次は良い大臣になるよ」その言葉の真意とは?
計1160日間、塀の中で暮らした河井氏。独房では、常に不安がつきまとった。 「自分の行く末が不安というより、家族と接触できないことが不安でした。妻は毎日のようにせっせと手紙を送ってくれましたけど、届くまでに時間がかかるし、僕の書いたものが着くまでにも時間がかかるんです。読み終えて返信していたら遅くなるから、読む前に出すんですね。だから内容の食い違いが出てくる。その時間差がもどかしかったですね。とりわけ妻が体調不良で倒れた時など、不安で仕方なかったです」 外界から隔絶された独房では、昼間にラジオで耳にした「安倍晋三元首相が銃撃された」というニュースも実感が湧かないままだった。 夜、案里氏から安倍元首相の死を知らせる電報を受け取り、ようやく現実の出来事と感じられたという。かつて自分を引き立ててくれ、腹心となって立ち働いた安倍元首相を失った河井氏は、独房でひたすら祈り続けることしかできなかったと振り返る。
不安にさいなまれ、疑問を感じることも多かった獄中生活だったが、得たこともある。かつて週刊誌などでも報道された、自身のスタッフへのパワハラに関する痛烈な反省だ。 「なんで、何回言っても分からないんだ!」。集団行進の際、歩行が遅れがちな高齢の受刑者に対し、刑務官がそう怒鳴ったのを聞いたときのことだった。 「そのとき、はたと気づきました。自分も過去、同じ言葉を秘書やスタッフに吐いていた。分からないから分からないのに、『なんで分からないのか』と怒鳴っても答えようがない。人に対して厳しく当たる、つらく当たるってことがどれだけ人を傷つけるか。この立場になって、初めてよく分かりました」 時に、眼鏡を外し、涙を浮かべながら取材に応じた河井氏。獄中体験は、広島県議に初当選した20代から、しゃにむに走り続けた政治家としての人生を振り返る契機にもなったという。 「妻はずっと広島県議を務めていて、県知事選に出たり、参院選に出たりした。僕は衆議院議員で、いつ解散総選挙か分からず、常に気持ちが追い立てられていたと思います。これは国会議員になった人しか分からないと思うけど、頭の中はいつも、次の選挙のことでいっぱいなんですよ。さらに僕たち2人は、どちらかがいつも選挙が近いという、異常な環境の夫婦でしたから。やっぱり、幸せじゃなかったですね。僕は世襲でも官僚出身でもなくて、そんなに選挙、強くなかったし。だから結婚してから、二人そろって休んだ日はほとんどないんです。毎日ばたばたしてるのが充実していることなんだ、というふうに勘違いしていましたね」 ▽十字架