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町田と八王子の境界近くに存在 蛇行を繰り返す「戦車道路」とは何か

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アーバン ライフ メトロ

八王子と町田市の境界にある散策コース

 八王子と町田市の境界付近に、「戦車道路」と書かれた案内板の立つ散策コースがあります。太平洋戦争中、陸軍が戦車の性能テストや操縦訓練をした道だったので、こう呼ばれています。 【地図】いったいどこにある? 「戦車道路」の場所をチェックする  特に京王相模原線「多摩境駅」(町田市小山ヶ丘)付近、下を線路がトンネルでくぐっている前後では、戦車道路の道が激しい蛇行を繰り返しています。  Wの文字の隣にVの字をくっつけた形で、わずか1.5kmの間に5回もUターンに近い形で屈曲しています。悪路の戦場でも戦車が活動できるように、わざと蛇行させたテストコースを造ったとも言われてきました。

「戦車道路」の由来とは

 この戦車道路は、低い山の尾根伝いに約8km続きます。かつて戦車が乾いた道で、ほこりを巻き上げたり、ぬかるんだ道では泥を跳ね上げたりしながら進んだ道が、現在は尾根緑道と名付けられた緑道に整備され、絶好の散策&サイクリングコースになっています。  尾根緑道の南側は低地が広がっているので、コース途上には見晴らしがいいポイントが点在しているのもうれしい点です。  戦車道路の由来を見ておきましょう。  太平洋戦争開戦1年前にあたる1940(昭和15)年、現在の相模原市(神奈川県)北部、町田市との境界付近に相模陸軍造兵廠(ぞうへいしょう。旧日本陸軍の兵器工場)が設置されます。  場所は現在JR横浜線相模原~矢部間の線路沿いから北側にかけて広がる米陸軍相模総合補給廠になっている所です。  相模陸軍造兵廠では、戦車(チハ車)や装軌牽引車(ロケ車)を最大で月産15台程度製造したほか、中口径砲弾弾帯(弾帯 = 弾丸に回転を与えるため弾丸の底部にはめ合わせた金属製の帯)の搾出などを行っていました。徴用工、動員学生も含めた工員数は、戦時中の1943(昭和18)年には約1万1300人にものぼっています。

道路の完成は1943年

 製造した戦車は、性能テストをしなければなりません。また造兵廠の東南側に隣接して陸軍兵器学校があり、その学生たちの操縦訓練の場も必要でした。  造兵廠敷地のすぐ前を、前述のとおり1908(明治41)年開業の国鉄横浜線(開業時は私鉄の横浜鉄道、現・JR横浜線)が走っています。同線の相模原駅は造兵廠完成後、西門近くに1941(昭和16)年に開業したものです。  それまで線路沿いに続く平地は一面の桑畑だったのが、造兵廠で働く人たちなどの宅地や商業地になっていきます。一方、造兵廠の北側は都県境となる境川が流れ、そのすぐ北側(現・町田市側)は低い山間地のためほとんど未開発状態でした。  陸軍がこの山間地の土地を買収して、1943年に戦車道路を完成させます。造兵廠の北側の門を出て坂道を1.2kmほど登れば戦車道路に出会える立地で、戦車道路コースすべてが尾根筋を通っています。  なぜ尾根伝いのコースにしたのかは想像になりますが、 ・上から見下ろされることがないので秘密を守りやすいこと ・平地ではないのでアップダウンが適度にありテストコースに適していること ・尾根筋なら横切る川がなく橋を建設する必要がないこと ・山間地で人家が少ないこと などが考えられます。  またそもそも一般に山道は尾根筋に造られることが多く、戦車道路の中でも元から細い山道としてあった区間もあります。

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