「3人は地震で死んだのではない」 標準語を話せない地方出身の青年を虐殺 関東大震災・検見川事件 差別偏見の根絶願い、千葉市花見川区で慰霊の集い
1923年の関東大震災ではデマや混乱で多くの朝鮮人が虐殺され、標準語が話せない地方出身の日本人も殺された。検見川町(現千葉市花見川区)で同震災の4日後、地方出身の青年3人が虐殺された「検見川事件」。事件を語り継ごうと101年となった5日、3人が殺された花見川区の現場で慰霊の集いが行われた。参加者らは、事件を忘れないこと、悲劇が二度と繰り返されないことを祈った。 検見川事件では、秋田・三重・沖縄の各県出身の日本人青年3人が殺害された。事件を長年研究し、現場での慰霊を昨年も行った沖縄県出身の島袋和幸さん(76)=東京都葛飾区在住=によると、検見川町の自警団が、震災の被害が大きい東京から逃げてきた地方出身の青年3人を方言などから朝鮮人と疑って襲撃。一度は付近の駐在所が保護するが、暴徒化した群衆が駐在所から3人を引っ張り出して虐殺。遺体は川に投げられたという。
島袋さんが入手した当時の新聞記事にも事件は記されている。 「(朝)鮮人来襲の流言頻々たる五日午後一時頃檢(検)見川町京成電車停留塲(場)附近に於て(中略)三名を不平鮮人の疑ひありと巡査駐在所に同行」「人々は數(数)百人」「竹槍日本刀等の武器を携へ」「三名を鮮人と誤信し同駐在所を襲ひ」「三名を針金にて縛し殺した」 (読売新聞・1923年10月28日) 震災の混乱で朝鮮人が暴動を起こすとのデマを信じた人々は、地域を守るという名目で自警団を結成。罪のない朝鮮人だけでなく、検見川事件のように標準語が不自由との理由で外国人だと疑われた地方出身者も殺されたとされる。千葉県内では、福田村(現野田市)で検見川事件の翌日、香川県の行商団が殺された「福田村事件」が起き、映画化もされている。 検見川事件を追い続け、集いに参加した千葉県内在住のノンフィクションライター、安田浩一さん(59)は「3人は地震で死んだのではない。朝鮮人に対する差別と偏見が3人を殺した」として「差別の向こう側にあるのは殺りく」と強調する。 島袋さんは「国籍に関係なく人は平等。国や地方自治体が関東大震災後の虐殺と向き合うことが、今もなくならない差別をなくすことにつながる」と訴えた。