サンヨーコートの最高級シリーズ「100年コート」には、日本のものづくりの良心が宿っていた
1943年の設立来、日本のファッション文化を牽引してきた三陽商会。’60年代から’90年代にかけて、数々の海外ブランドを日本に紹介してきた総合アパレルメーカーは、草創期から自社工場で高品質のコートを作り続けてきた。 1943年の設立以来、日本のファッション文化を牽引してきた三陽商会。数々の海外ブランドを日本に紹介してきた総合アパレルメーカーは、コートメーカーとしての顔を持ち、2013年には、その集大成というべき「100年コート」の生産をスタートした。 このコートは、素材から縫製に至るまで丁寧に作り上げられ、「いいものを永く、大切に使う」という価値を、あらためて僕たちに教えてくれる。
コートとともに歩んできた三陽商会の歴史
今回、お話をうかがったのは、ブランドのMDを務める田中真一さん。まずは三陽商会のコートづくりの歴史から。
「三陽商会は太平洋戦争中の1943年に創業者・吉原信之が東京で設立した会社です。当初は砥石商を生業としていましたが、敗戦後にゼロからの再出発を余儀なくされました。そこで創業者は、戦時中の灯火管制に使われた大量の防空暗幕を利用して、紳士用のレインコートを作りました。これが当社のコート第1号です」 その後、女性用のオイルシルク製「レインコート」や、PX(進駐軍家族向け売店)からのオーダーに応えた「ラバーライズ・レインコート」といったヒット作を世に生み出した。 1951年には「サンヨーレインコート」を商標登録し、ラジオCMで知名度を高めた。
「1959年にはシネモード(映画のヒーローやヒロインの服装や髪型)を取り入れたササールコートを発売しました。映画配給会社とのタイアップで生まれたコートは、1シーズンに5万着という爆発的な売れ行きを記録し、数年間にわたって品薄の状態が続きました」
ちなみに三陽商会は、1950年代に、自社製品に自社の名を記した織ネームやタグをつけ始めた。 日本のアパレルメーカーの中で、こうしたコーポレートアイデンティティの確立を目指したのは三陽商会が先駆けだった。