空冷6気筒の水平対向! RRレイアウト! ポルシェになれなかったGMの「コルヴェア」とは
コルヴェアに垂れこめた暗雲
とはいえ、コルヴェアには懸念事項もなかったわけではありません。ユーザーから指摘が多かったのは、空冷エンジンゆえ寒冷時におけるヒーターの弱さ。これに対してGMはガソリンを燃焼させるヒーターをオプション設定したものの、燃費への影響や、経年劣化した際、車内に一酸化炭素が流入する恐れがあるなど、最後まで抜本的な解決には至りませんでした。 空冷RRあるある問題はこれだけにとどまらず、初期の911やビートルで指摘されたオーバーステア傾向もまた指摘されてしまいました。 第1世代コルヴェアは、リヤサスに当時のメルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンも用いたスイングアクスルを採用していましたが、フロントアクスルのアンチロールバーは未装着。となると、旋回中の荷重がフロント外側のタイヤに集中した際、RRはどうしてもオーバーステアを誘引しがち。 ただし、これはGMもよく理解しており、フロントタイヤの空気圧を低くして、リヤの圧を上げることで解消できるとしていました。実際、モータートレンドでのリポートにもその旨が記載されたようですが、一般ユーザーはもちろん、修理工場でも認知は進まなかったため「コルヴェアの操縦性はビミョー」という噂が定着してしまったのでした。 こうしたビハインドをはねのけようと、第2世代(1965~1969年)ではリヤサスペンションのグレードアップ(独立懸架)をはじめ、ターボモデルの追加、そして現代でもお手本とされるスタイリッシュなボディへとフルモデルチェンジを敢行。コークボトルデザインはこれから後のGMに大きな影響を与えたことはいうまでもないでしょう。 また、ワゴンとピックアップトラックがラインアップから消えたほか、2/4ドア、コンバーチブルなどは従来通りで、初代が狙った層だけでなく若者からの支持が大幅に向上したとのこと。 ただし、このあたりからコルヴェアの頭上には嫌な暗雲が垂れ込み始めるのでした。いい意味でも悪い意味でもアメリカの安全機運を高めたラルフ・ネーダー(醜いマイルバンパーは彼の提唱によるもの)の著書「クルマは何キロで走っても危ない(Unsafe at any speed)」によってコルヴェアの走行性を叩かれてしまったほか、エンジンの慢性的なオイル漏れ、そのほかステアリングコラムの堅牢性によって生じてしまった衝突時の危険性など、世の中の風向きは徐々に逆風となってきたのです。 上述のとおり、GMにしても手をこまねいていたわけでもなく、フルモデルチェンジでたいがいのことは解決して見せ、またラルフ・ネーダーがアヤつけてきた「コルヴェアがスピンするシーン」のムービーは、なんとライバルのフォードが作ったものだという証言すらあります。 それでも、コルヴェアの評判は回復することなく徐々に売り上げは落ちていくことに。一説によれば、ネーダーの指摘が行われた以前にコルヴェアの生産中止は決まっていたものの「アイツにいわれたからって、おめおめと生産をやめてたまるか!」とGM首脳陣が意地を見せ、1969年まで生産を続けたとのこと。まったく、いまも昔も勘違いした消費者団体というのは手に負えません。 ところで、コルヴェアはレースシーンでもそれなりの活躍を遂げています。もっとも有名なものではドン・イエンコによるカスタムマシン「イエンコ・スティンガー」があります。彼はコルベットで数々のレースに参戦していたのですが、かのキャロル・シェルビーになかなか勝つことができず、RRのコルヴェアにその望みを託したというわけ。 ともあれ、レギュレーション上、100台のイエンコ・スティンガーを作る必要があり、彼はいくつかタイプの異なるスティンガーを製作。いまもマニアによって動態保存されている個体が少なくないそうです。 リザルトについても各地のマイナーレースで好成績を残しており、RR、モノコックボディ、そして空冷フラットシックスの底力を見せつけてくれたのです。 コルヴェアはエポックメイキングと冒頭で評したのも、こうした背景を知ればご納得いただけるかと。実際、タッカーやナッシュを大きく上まわる200万台近くを売り上げていますから、ただの変わり種ではないことも実証されたといっていいでしょう。 なお、コルヴェアをベースとしたコンセプトモデルも数多く作られていますが、もっとも美しいとされるコルヴェア・モンツァGTは、現在もGMのヘリテージセンター、しかも特等席みたいな場所に展示されています。
石橋 寛