アキレス腱断裂のソフトバンク上林に待つチャンス
【記者コラム】プロ野球ソフトバンクの上林誠知選手が右アキレス腱(けん)を断裂した。しかも試合前の練習中に…。当日は取材の指示や記事の扱いを取り仕切るメインデスクとして、現場からショッキングな報告を受けた。その瞬間、10年前の自らの嫌な思い出がよみがえった。 【写真】ノーバン投球ならず恥じらい笑顔を見せるモデルの井桁弘恵 2012年当時、ソフトバンク担当の記者だった。プライベートの時間に不摂生を極めた体で無理な運動をした瞬間、プチッ…。左足のアキレス腱が悲鳴を上げた。あのなんとも言えない衝撃音と感触を上林選手も味わったのか…。今はソフトバンク担当を離れ、現場記者の報告を受ける身。上林選手にじっくり取材をした機会もないが、人ごとには思えなかった。 当時、説明された治療法は二つ。腱を縫い合わせる「手術療法」か、装具を使用してつま先を伸ばした状態で固定し、腱が自然につながっていくペースに合わせて足首が直角になるまでギプスを巻き替えていく「保存療法」だ。私は保存療法を選んだが、松葉づえで取材する姿には記者仲間はもちろん、選手やスタッフにも哀れみの笑みを浮かべられたのを覚えている。 アスリートの多くは手術療法を選ぶ。ギプスや装具が外れる時期が保存療法より早いからだ。上林選手も5月20日に手術を受けた。競技復帰まで6カ月の見込みという。今季中の復帰は絶望的となった。今季は33試合の出場で打率3割1厘、1本塁打、12打点。藤本監督が「柳町と競争している中で上林が上に来たかなというところだった」と語っていたように、外野の一角をつかみかけていた。2017年に134試合、18年には全試合出場を果たしたが、19年からは3年連続で出番は減少。復活をかけていただけに、ショックは計り知れないはずだ。 さらに今後はリハビリ、そして今でも私の頭によぎる「再断裂」の恐怖が待ち受ける。孤独な時間も増え、不安にさいなまれる時間もあるだろう。とはいえ、藤本監督が「野球人生が駄目になるわけじゃない。起こったことは、もう返ってこないので」などと語った通り、いかに前を向いていくか。 復活したアスリートも多い。ホークスのOBでいえば南海時代の門田博光氏が有名だ。1979年に右アキレス腱を断裂したが、DHでプレーすることで打力を生かした。80年は41本塁打でカムバック賞を受賞し、81年は44本塁打で初の本塁打王となった。 かつての広島の前田智徳氏や、アキレス腱痛に悩まされた中日の谷沢健一氏…。球界以外でも、女子テニスの伊達公子氏、左右のアキレス腱を断裂したラグビー元日本代表の大畑大介氏などさまざまな競技のトップアスリートが試練を乗り越えている。 いかに自分がコントロールできることに集中できるか。これに尽きるのだろう。その点で、アキレス腱断裂ではないが、これまでの取材経験で印象的だったのがラグビー元日本代表の福岡堅樹氏だ。2019年W杯日本大会を2週間後に控えた壮行試合でふくらはぎを痛め、離脱した。このW杯で代表活動に区切りをつけると決めていた福岡氏にとってショックだった。だが、持ち前のポジティブ思考で切り替えた。1カ月後の復帰を見据え、逆算。「今できること」の積み重ねで、W杯で日本代表の史上初の8強入りに貢献した大活躍につなげた。 上林選手にとって人生最大の危機。自分の強みは何なのか、アスリートとして、人としてアキレス腱断裂前よりも大きくなるために、何をすべきなのか。これからの歩みは、いろいろな形で壁にぶち当たって悩んでいる人たちに勇気を与えるモデルケースにもなる。逆に、復活を願う方々の力が支えになることもあるだろう。自らを見つめ直す時間が生まれるのは間違いない。ピンチはチャンス-。使い古された言葉だが、上林選手にはこの経験があって良かったと振り返るときがきっとくると信じている。(大窪正一)