復旧進むも…続く避難所生活 希望捨てず「またここで」 7月豪雨から3カ月
九州を襲った7月豪雨から4日で3カ月。被害が大きかった熊本県では、仮設住宅の整備など生活再建に向けた動きが進むが、長い避難生活を続けるしかない住民も残る。氾濫した球磨川沿いに住む農家は、農業の再開に希望を見いだそうとしている。(三宅映未)
県内では9月末時点で775戸の仮設住宅が着工済み。296戸が完成した。県住宅課は「工期の遅れはないが、人吉市などでは建設場所の選定が遅れている例がある」と説明する。建設場所にしやすい広場や公園が浸水想定区域に該当しているためだ。市内の避難所生活者数は10月1日現在で186世帯・366人に上る。 人吉市中神町の農家・一橋國廣さん(76)の家は、水に漬かった床板や壁、窓ガラスが今も取り払われたままだ。近くの避難所に家族4人で身を寄せ、日中は片付けなどを続ける。仮設住宅の入居申請は済ませたが、いつ引っ越せるかは分からない。「もう、本当に疲れました」 町会長も務める一橋さんは災害の発生当初、地域住民への自主避難の誘導に尽力した。自宅の惨状を目の当たりにしたのは数日後。2階の床上まで浸水し、倉庫の農機も全て水没した。家の隣にあった30アールのハウスは濁流に流された。 熊本県JAグループの支援隊の手を借りて農地の廃材は撤去したが、3カ月がたち、その場所にうっそうと草が茂る。 離農も考えたが、市が開いた被災農家向けの説明会に参加し、考えが変わったという。農機の修繕や再購入には、国や自治体の補助で9割近く補償される。想定より少ない元手で営農再開の展望が開けた。 「もしこの地で(農業を)続けられるなら。不思議なもので、欲が出てきた」と一橋さん。9月末、家の脇にあった小さな畑を掘り起こし、キャベツやブロッコリーの苗を植えた。 55年前の洪水では、家が漬かり田植えをしたばかりの田畑が流される中、地域住民で団結し、田を再度起こして苗を植えたという。今度も自分の手で少しずつ、復興への期待を野菜苗に託す。 津奈木町では9月末に応急仮設住宅ができ、避難所にいた8世帯23人が生活を始めた。住民が暮らしていた地区では土砂崩れの危険性が高いとして、現在も復旧のための調査が続いている。 仮設住宅で暮らす人の中には、地区内に「デコポン」などかんきつの園地を持つ農家もいる。毎日、車で作業に向かう。平国下地区の鬼塚賢造区長は「これまですぐに行けた園地が遠くなり、農繁期になると負担が増すのではないか」と、住民の生活を案じる。
日本農業新聞