知的障害のある両親から生まれた葛藤と、隠してきた過去 「もっと理解すれば良かった」後悔と共に感じる、支えてくれた恩人の大きさ #令和の子
田山さんが両親の障害について向き合い始めたのは、小学校高学年の時だった。授業参観の時、真面目な母親は極端に早く来てしまった。「同級生の親は来ていないのに、自分のお母さんだけ来ていて、恥ずかしいと思うようになった」 思春期になると、父が苦手になった。子煩悩だが、成長する娘とうまく接することができない父。中学生の時は自室に突然入ってくるのが嫌で、怒って強い口調で拒絶したりした。 両親の障害に対して「うちは仕方ない」と、諦めのような気持ちを抱いたのもこの頃。ずっと悩みを聞き続けてきた浜村さんはこの時期、家庭のことで「やっぱりお母さんには分からないかな」「難しいかな」と、さみしそうに話していたのを覚えている。 高校に進学した後も「恥ずかしいから」と、同級生たち周囲に両親の障害のことを隠し続けた。両親の障害に葛藤を抱き「やりばのない思いを発散できず」に、耳に何カ所もピアスの穴を開けたこともある。
父の死に衝撃「支えにもっとなりたかった」
そんな気持ちを変えたのが、高校2年生の時の父の病気の発覚だった。気付いたときには末期の肺がんだった。ずっと抱き続けていた「恥ずかしい」という感情。結局、きちんと向き合うことができないまま父は亡くなった。病気の父の支えにもっとなりたかった。そんな気持ちもあり、「違う接し方があったのではないか」と強く後悔した。 父の死に衝撃を受け、気持ちを整理できないで落ち込む日々が続いたが、浜村さんのアドバイスもあって進学した。病気の父を支えられなかった後悔から、大学は医療関係の道を選んだ。 大学入学当初は母と暮らす実家から通ったが、3年生の時からは実習の授業に出席するために大学近くに住む必要があり、1人暮らしを始めた。母はさみしがったが、送り出してくれた。多くの大学生が経験するような、バイトと学業に忙しい生活。実家を離れたそんな日々の中で、以前は複雑な感情を抱いたりしていた両親のことを、少しずつ消化できるようになっていった。 それでも、周囲には両親の障害をなかなか言えずにいた。大学時代に出会った恋人に明かしたのも、交際してから何年もたってから。意を決して伝え、相手が自然に受け入れてくれたこともあって、「この人となら」と結婚を決意できたという。