Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

「未来に伝えたい」中学生が語り継ぐ ふるさとの戦争

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
KKT熊本県民テレビ

新型コロナウイルスの影響で短かった夏休み。その休みの間に75年前の戦争の記憶を後世に伝えたいと取り組んだ中学生がいます。戦争を知らない彼女たちが当時に思いをはせ、平和を誓った活動を追いました。

陸軍菊池飛行場正門の表札 中学生が復元

熊本県菊池市泗水町。 (菊池飛行場ミュージアム 勝又俊一副館長) 「ここは菊池飛行場の施設の一部になります。まだ点々と戦争遺跡が残っているんですけどね」 町に残された戦争遺跡をたどる中学生がいました。地元の菊池市立泗水中学校に通う3年生、清原心乃さん、植野怜央奈さん、成田苺花さんです。

今も民家に残るコンクリートの壁は飛行機の格納庫の一部です。17歳の時に菊池飛行場で少年飛行兵として入隊した前田祐助さん(93)が自らの体験を中学生に語りました。 (元少年飛行兵 前田祐助さん) 「これは弾のあとですけど、米軍のグラマンから機銃掃射を受けて、13ミリ機関砲という親指ぐらいの弾がここにささって、あたって跳ねかえってあたった弾のあとです。人間を狙って撃つ。こういうのがこの格納庫にあたって残っている」 地元で過ごしてきた彼女たちにとって初めて知る戦争でした。 (泗水中学校3年生 成田苺花さん) 「指が入るくらい奥深くまで入りますね」 (泗水中学校3年生 植野怜央奈さん) 「すごいなんか物語とか、そういうのでしか戦争について聞いたことがないから、実際に見て触ってみると、すごいなんかショックっていうか…怖いなと思いました」 1940年に完成した陸軍の菊池飛行場。翌年には福岡県の大刀洗飛行場から教育隊が移管され、国内最大規模の飛行教育隊となりました。機体の整備などを行うため特攻隊の中継基地としても使用されました。そして終戦から3か月前の5月13日と14日。菊池飛行場もアメリカ軍の空襲の標的になりました。2度にわたる空襲で菊池飛行場は全壊。空爆された通信学校などには、面会に来ていた人もいて、警察の公文書によると、死亡者は69人に上るとされています。

【関連記事】