〈名曲『深夜高速』誕生秘話〉「いちばん恥ずかしいことを歌にしろ」マネジメント契約終了に離婚…社会に必要とされない35歳が自らを赤裸々に歌うと…
「あれ? もしかしてこの曲、いい曲なんじゃないの?」
ただ、当時は、圭介も、メンバーも、この曲がバンドにとって極めて重要な存在になるとは、まったく思わなかったと言う。 「この頃の活動のルーティンとして、ツアーに出ますっていうときに、物販としてシングルCDを作って販売する、ということになっていました。 Tシャツとかのグッズが、今ほど売れる時代でもなかったので。だからツアーの度に、アルバムは無理でもシングルを作りましょうっていうことで、候補曲を何曲か作るんですけど、このときは『まぁ、この中ではこれがいちばんいいんじゃない?』って、わりと淡々と決まって。 近い時期に作った『東京タワー』のときは、メンバーみんなが『これはいいね!』って言ってくれたけど、『深夜高速』は、そういう感じでは一切なかったですね。 グレートに至っては……そのときは言われなかったけど、あとで聞いた話だと、この曲をシングルにするのはやめた方がいいんじゃないか、とも思ってたらしい。『生きててよかった』っていうフレーズが、僕の状況も知っていたので、ちょっと痛すぎるな、と思ったんじゃないかな。 それは自分も思ってました。あと『生きててよかった』って、ちょっとクサすぎるんじゃないかな? 恥ずかしいかも、と。でもそこで、伊作さんに言われた『いちばん恥ずかしいことを歌にしろ』っていうことに立ち返って」 そうしてレコーディングをした「深夜高速」をライブで演奏し始めてすぐ、この曲がフラカン史上かつてないほどの、言わば「その場で聴き手に刺さる曲」であることを、4人は実感していく。 CDができあがってライブ会場での販売が始まると、どこでもそれまでにない売れ方をしていく。新宿ロフトでのイベントでは、100枚近い数が売れたという。キャパ500人のロフトでそんな数のCDが売れるのは、異常な事態である。 「当時の手帳があったから、今日持って来たんですけど。これによると、2004年の3月27日、渋谷ラ・ママのイベントに出たとき、『深夜高速』をやってますね。出番後の物販で、お客さんに『あの曲なんですか?』って訊かれました。 そのあともライブで演奏する度に「あの曲は……」と訊かれるて、シングルを売り始めたら、今までにない数が売れていく。それで『あれ? もしかしてこの曲、いい曲なんじゃないの?』って、メンバーで話したことは憶えてます」 取材・文/兵庫慎司 撮影/マスダレンゾ
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