プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍
GMCエンボイXUV(2004年)
XUVは、エンボイにリトラクタブル・ルーフを装着した奇抜な派生モデルである。ルッツ氏はこのクルマの発売を止めようとしており、そのために「何度も試行錯誤を繰り返した」と後に書いている。 「後方から見ると、そびえ立つウェディングケーキのように見え、倒れることはわかっていた。しかし、マーケティング部門と商品企画部門は、これがセンセーショナルな勝者になると信じていた」 結局、XUVはセンセーショナルでも勝者でもなかった。買いたい人が少ないという単純な理由ですぐに販売中止となった。
ポンティアックGTO(2004年)
これまで関わったクルマの中で最もやり直したいものはどれかと問われたルッツ氏は、第5世代のポンティアックGTOを挙げた。オーストラリアで生産されたホールデン・モナーロのリバッジモデルで、「フロントエンジン、ハイパワー、スモールブロック、後輪駆動車で、IRS(独立リアサスペンション)を備えており、ハンドリングは最高だが、多くの人にとってスタイリングは残念なものだった。もっと時間と投資をかければ、60年代のGTOのキャラクターに近づけることができたはずだ」と評している。 ルッツ氏はまた、次のGTO(G8セダンをベースにした4ドア・クーペ)が実寸クレイモデルの段階まで進展したものの、2010年のポンティアックの閉鎖によりそれ以上には至らなかったことも明かしている。
キャデラックBLS(2005年)
BLSが「ボブ・ルッツ・スペシャル」の略だという話は単なるジョークだが、GMの製品開発責任者として彼が関わっていたことは確かだ。スウェーデンで生産されたサーブ9-3を手直ししたもので(ディーゼルエンジンはフィアット製)、キャデラックの中では唯一、北米で販売されなかったモデルだ。GMが崩壊の危機に瀕する2009年まで、約7000台が生産された。
シボレーHHR(2006年)
レトロなモデルを世に送り出そうとしたルッツ氏は、(クライスラーPTクルーザーと同様に)GMの反対を押し切ってHHRを開発した。両車が似ていたのは、ブライアン・ネスビット氏(1969年生まれ)が開発に携わっていたせいもあるだろう。ルッツ氏は、ネスビット氏が既存のコンセプトのデザインを発展させるために引き抜かれたと語っている。 HHRは大ヒットとはいかなかったが、少なくとも初期のSSRよりは長生きし、2011年まで生産された。