なぜ「げそ天」は老舗そば屋にないのか? みんなの知らない“げそ天そば”の世界
大衆そば・立ち食いそば屋にあって、老舗そば屋にはないメニューとして、今まで「コロッケそば」、「春菊天そば」をお話ししてきた。去年12月 「春菊天そば」について原稿を書いた ところ、隠れ春菊天ファンが相当多数(推定4000万人!)いることがわかり、歓喜驚愕した。 【写真】「川一」ほか名店が提供するげそ天そばの写真を見る(全19枚) 実はもう1つ関東の老舗そば屋にはほとんどないメニューがある。それは「げそ天そば」である。 『いやいや、「げそ天」は関西のうどん屋にはあるし、西日本でもよく食べている』、『山形のそば屋では「げそ天」は定番だ』、『げそわさ、げそフライ、げそ唐揚げ、げそバター炒めなどは、居酒屋定番の全国区の人気メニューである』と言われると、おっしゃる通りなのだ。
「げそ」にあった悲しい歴史
しかし、特に、関東の老舗そば屋ではまず見かけない。その理由を紐解いていこうと思う。「げそ天」が立ち食いそば屋の人気メニューになるまでには、げそには悲しい歴史があったようだ。 イカの胴体はフライや天ぷらとして人気である。純白で美しい。高級天ぷら屋や洋食屋ばかりでなく、中華料理屋、社食、給食などでも広く食材として利用されてきた。冷凍食品として扱いやすい食材だったのだろう。 それに対し、げそは同じイカでも足というだけでなんとなく格下的に扱われている。げそは見栄えも悪いし、小さな吸盤があって食べにくいからである。 関東の老舗そば屋ではイカの胴体やエビは天種にするが、値段が安い格下のげそを天種にすることは避けてきたのだろう。また、「げそ天」を揚げると、天ぷら油がすぐ汚れてしまうということも背景にあると思う。 あと、老舗そば屋でげそを扱わない決定的な理由は、昔からそば屋ではまな板に魚などの生ものを載せないという掟みたいなものがあるという。それは今でも続いている。冷凍で加工してある胴体はカットするだけなので使えるけれど、げそは下処理が必要でまな板を汚してしまうわけである。高級割烹でもげそを扱うことはまずない。「悲しいげそ君」である。 昭和40年代の高度経済成長の頃、築地場内市場に仕入れに行けば、一斗缶に山ほどのげそが無造作に置かれていて、タダ同然で売られていたという。「売れないから持っていってくれ」というわけである。しかし、新鮮なイカが手に入る全国の漁師町では、げそは胴体より味が濃くてうまいことはもちろん常識であった。そのため、昔から、地域ごとに工夫して粛々と食べられてきた。ただ、そばに載ることはあまりなかった。