朝倉海UFC挑戦の24年前…「UFC初参戦でいきなりタイトルマッチ」を行った日本人とは? 雑誌の見出しは「星の王子さま」、最も王座に近づいた男
ついた見出しは「星の王子さま」
そしてパンクラスの入門テストに落ちた宇野は、トレーナーを育成するスポーツの専門学校に進み、男子校だった高校時代には味わえなかった青春を楽しんだが、心はまったく満たされなかった。 「やっぱりプロへの未練があって、女のコと遊んだり青春しててもなにか物足りなかったんですよ。渋谷くんがデビューしたことを雑誌で知った時は、『頑張ってるんだな。俺は何をやってるんだろう……』って、すごくモヤモヤしてましたね。それで19歳の時、父が心筋梗塞で急に亡くなって。父の死をきっかけに、自分が本当にやりたいことを考えるようになって、やはり僕はサポートする側ではなく選手としてやりたいと思ったんです」 そんな時に知ったのが、総合格闘技「修斗」のカリスマ、佐藤ルミナの存在だった。 「同級生から『修斗っていう格闘技に佐藤ルミナって、宇野くんと同じくらいの体型の強くてカッコいい人がいるんだよ』って教えられて、階級に分かれているなら自分もやってみようと思ったんです」 そして宇野は、佐藤ルミナが所属するシューティングジム八景に入門。アマチュアの全国大会で準優勝と結果を出したあと、’96年10月に21歳でプロデビュー。めきめきと頭角を現し、憧れのルミナと対戦したい気持ちもあり和術慧舟會に移籍。そしてデビューから約2年半後の99年5月29日、修斗ウェルター級王座決定戦でついにルミナと対戦。大方の予想を覆してスリーパーホールド(リアネイキッドチョーク)で勝利し、見事新チャンピオンに輝いたのだ。 またこの時期、修斗自体がファッション性の高いニュースポーツとして若者たちの間で注目され、これまでのプロレスや格闘技とは違ったムーブメントを巻き起こしていった。 「当時、マガジンハウスから出ていた『relax』というカルチャー誌で修斗が注目されて、プロレスとは違ったアプローチで人気に火がついたんです。僕自身、新人時代は品川のアフタヌーンティー・ティールームでバイトしながら練習していたら、『カフェで働く格闘家』として誌面に取り上げられて。また、同じマガジンハウスから出ていた『olive』(女性向けファッション誌)で、僕が『今、注目の男のコ○人』みたいな特集でピックアップされた時、当時流行っていた無造作ヘアをしていたら『星の王子さま』という見出しが付けられて、それで注目されるようになったんです。いま振り返ると、すごく時代に恵まれたなって思います」
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