役者への入り口作ってくれた大川橋蔵 舞台化粧は「観察して盗んで覚えるんだ」諭すも…「一回しか言わないよ」と教えてくれた 舟木一夫・出会いと別れの80年
【舟木一夫 出会いと別れの80年Part2】 歌手の舟木一夫が来月、80歳を迎える。〝傘寿〟を機に、出会いと別れの80年をつづる連載の第2弾だ。 【写真】人生の先輩として美空ひばりを尊敬していた舟木一夫 大川橋蔵は時代劇俳優になる前、六代目尾上菊五郎に素質を認められた歌舞伎俳優だった。舟木はそんな経緯から〝音羽屋の先輩〟と呼び、時代劇役者のイロハを教わった。「一・声、二・顔、三・姿」もその一つで、役者への入り口を作ってくれた人だという。 ある時、大阪・梅田コマ劇場で公演中の橋蔵の楽屋を訪ね、「舞台化粧の基礎を教えていただけませんか」と頼むと、舞台を終えた後、老舗ふぐ料理店に誘われた。そして店に入るなり、橋蔵は開口一番、「そういうことは役者に聞いちゃいけないんだよ。失礼になるからね。よく観察して盗んで覚えるんだ」と舟木を諭したのだ。 「分かりました」と申し訳なさそうに答える舟木に「一回しか言わないよ」と言って化粧方法を15点ほど教えてくれた。舟木は橋蔵の目の前でメモをするのをためらい、店を出るなり、表の看板の下で持ってきた手帳に走り書きでメモした。〝舟木時代劇〟のベースになっている。 橋蔵といえば「銭形平次」(フジテレビ系)。主題歌を歌った舟木は1966年4月19日放送の第3話「謎の夫婦雛」に初めてゲスト出演。84年4月4日の最終回(888話)には美空ひばり、里見浩太朗らとともにゲスト出演して有終の美を飾った。 橋蔵が結腸がんのため55歳の若さで亡くなったのは放送から8カ月後の12月7日だった。 舟木は〝寒い時代〟から抜け出して動き始めた93年7月、復活後初の座長公演を名古屋・中日劇場で行った。芝居の演目は「銭形平次」。舟木は生前の橋蔵が実際に使ったもので舞台に立ちたいと思い、真理子夫人に許可を得て、投げ銭などの小道具を身に着けて臨んだのだった。 そんな縁で、舟木の座長公演には橋蔵の次男、丹羽貞仁がしばしば登場する。その丹羽に本紙「ぴいぷる」欄でインタビューした際、「舟木さんには父の命日に欠かさず花を届けてもらっています」と語っていた。 =敬称略 (大倉明)
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