戦時中にもいた「自粛警察」 もし75年前にSNSがあったらー広島の人々の思いを載せたツイート更新中【戦後75年・継承を考える】
行きすぎた「自粛警察」の横行。夫から返信がこないことを嘆く主婦。社会状況で授業にしわ寄せが来る子ども。「みんなで我慢」という見出しが躍る報道ーー。まるでコロナ禍の今のようだが、これは75年前、原爆投下直前の広島に生きていた人々が見た光景だ。【BuzzFeed Japan / 貫洞 欣寛】 1945年8月6日、人類史上で初めて、広島に原爆が投下された。当時の大人や子どもが、もしもTwitterアカウントを持っていたら。 そんな発想をもとに、NHK広島放送局が実在する新聞記者の男性、妊娠中の主婦、そして中学生の日々の思いと社会の動きを、当時の日記を元に掘り起こしてツイートする3つのTwitterアカウントが、更新を続けている。 アカウントは、一郎(@nhk_1945ichiro)、やすこ(@nhk_1945yasuko)、シュン(@nhk_1945shun)の三つ。いずれも、2-3万人のフォロワーがいる。ツイートをまとめ、原文も確認できるホームページも開設されている。
「一郎」は、中国新聞の記者として広島県庁などを担当し、当時32歳だった大佐古一郎さんの日記をもとにしている。 大佐古さんは取材などを通じ、すでに戦争が敗色濃厚なことに気づいている。しかしもちろん、それを記事にしたり、口外するわけには行かない。世を憂いながら、時に好きな酒を飲みに行く。 戦後もジャーナリストとして活動を続け、救援物資とともに広島を訪れて市民の命を救い、「広島の恩人」と呼ばれる国際赤十字のマルセル・ジュノー博士の記録の掘り起こしなどを行った。
「やすこ」は夫が出征中だった主婦の今井泰子さん。 原爆投下当時は26歳で、妊娠5カ月だった。1945年5月18日、初めての妊娠が分かった。義理の両親と暮らし、歯痛に悩みながら、おなかの子の成長と、夫の無事を気遣う。 今井さんの被爆体験記は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも収蔵されている。