異国の店主と土地の味。/ミャンマー料理店『ゴールデン バガン』
土井 日本人からの一言で、運命が動き出したのですね。実際に来日されたのは、その後ですか? モモ 1999年に日本へ渡りました。当時はカラーテレビがミャンマーに普及され始め、放送されていたドラマ『おしん』に感動して日本への憧れも強くなっていたので、すごく嬉しかったですね。でもそれ以上に、自由で平等な民主主義のもと、自分らしく生きる喜びを知ったのです。当時のミャンマーは軍事政権下で、政府の”いいこと”しか言ってはいけなかった。「公務員になります」「国に貢献します」「国を愛しています」。軍事政権以前も社会主義だったため、北朝鮮との連携が強く、世界の綺麗な観光地を紹介する本などは、今思えば北朝鮮の写真しかなかった。広い世界が見えないようにコントロールされていたなかで、ワタシの目は、日本で初めて”開かれた”のです。
土井 政治が持つ力の恐ろしさを実感する話ですね……。その心持ちで、来日後はどのように過ごしたのですか? モモ 当初は、ミャンマーに戻って旅行会社を立ち上げたいと思っていましたが、来日から半年後にサイさんと出合い、結婚してそのまま日本に暮らすことにしました。通訳と翻訳の仕事をしたり、IT会社で働いたり、子育てをしながら41歳で明治大学に通って政治経済学を学んだりと、インディペンデントに新しいチャレンジをし続けました。
土井 大学にも! モモさんと話しているだけで、溢れ出るバイタリティが伝わってきます。『ゴールデン バガン』はいつから始めましたか? モモ 大学卒業後の2015年です。来月でちょうど10周年! サイさんが昔働いていた和食屋の店長が長年仲良くしてくれていたのですが、その人が独立後に営んでいた天ぷら屋を畳む時、「居抜きでミャンマー料理を始めない?」と提案してもらったのです。ワタシはお店を経営しながらも、引き続き通訳の仕事をしたり、念願だった旅行会社を父と妹とミャンマーで立ち上げたり、ミャンマー人の登録支援機関のサポートもしたりと、ミャンマーと日本の窓口を担ってきました。