カダフィ大佐殺害から2年、リビアは今どうなってるの?
アルカイダ幹部を米軍が拘束
2011年10月20日、41年以上にわたって権力を握り続けたアル・カダフィが民兵に殺害され、その独裁体制に終止符が打たれました。それから約2年後の今年10月5日、各地のテロ活動にかかわり、米国が指名手配していた国際テロ組織アル・カイダの幹部アブアナス・アル・リビーが、首都トリポリで米軍に逮捕されたニュースが世界を駆け巡りました。その5日後、今度はアリ・ゼイダーン首相が民兵組織に拘束されたのです。カダフィ亡き後のリビアは、安定と程遠い状況にあります。【国際政治学者・六辻彰二】 [写真] <リビア>迫撃砲に尻もちをつく反政府側民兵 リビアでは2011年2月から人権侵害や貧困に対する抗議運動が広がり、カダフィ体制はこれを武力で鎮圧しました。それまでバラバラだった反カダフィ派は「国民評議会」に結束し、国際社会に支援を要請。これを受けて、欧米諸国は「カダフィが国民を殺害している」と批判し、国民評議会に軍事援助を行いました。全面的な内戦の果てに、2011年8月に国民評議会がトリポリを制圧。混乱のなか、逃亡していたカダフィが殺害されたのです。
2012年9月、米国公使ら殺害
2012年7月、リビア制憲議会の選挙が行われ、人権や信仰の自由に理解のある穏健派の国民勢力連合(得票率48.8パーセント)が、ムスリム同胞団系の公正建設党(21.3パーセント)を抑え、第一党となりました。11月には国民勢力連合のゼイダーン首相を中心に、各党の出身者からなる連立政権が発足し、リビアは新たな一歩を踏み出したのです。 しかし、リビアではその後も政情不安が続いています。内戦中に流入した武器が回収されていないうえ、正規の治安部隊も人員不足が深刻です。そんななか、もともとあった地域や部族間の対立が噴出し、東部地域が分離独立を宣言。そのうえ、カダフィ体制のもとで抑え込まれていた過激派や、カダフィ支持派によるテロ活動が活発化しており、昨年9月にはベンガジの米国公使館が約2000人の暴徒に襲撃され、公使ら4人が殺害されました。 さらに、人の移動を厳しく制限していたカダフィ体制の崩壊が、テロリストの流入を許している側面もあります。今回逮捕されたリビーも、2012年9月に母国リビアに戻ったとCNNは伝えています。