なぜ日本の報道の自由度は低い? 池上彰が語る「監視されるメディア」の実態
メディアとは本来、権力を監視するという重要な役割を担っています。しかし昨今では記者会見で特定の質問者を排除したり、報道機関に圧力をかけるといった行為がまかり通ってしまっているのが実情です。日本のメディアが「報道の自由度」を落とした原因とは? 池上彰氏が解説します。 ※本稿は池上彰著『池上彰の日本現代史集中講義』(祥伝社)より一部抜粋・編集したものです。
メディアへの監視を強めた
かつては新聞が目の敵にされましたが、テレビの影響力が大きくなるにつれ、政府は警戒感を強めるようになりました。特に安倍政権は積極的にメディアを監視し、コントロールしようとしました。 選挙期間中、テレビ局は放送法に違反しないように、自ら政治的公平に配慮しています。しかし、安倍政権時代の2014年、自民党が在京テレビ局に対して「選挙報道に偏りがないように」と、わざわざ文書で申し入れを行ないました。 その結果、政治についての討論番組が激減。「申し入れ」があっただけですが、面倒を避けるため現場が萎縮してしまったのです。 安倍政権は申し入れだけでなく、抗議も積極的に行ないました。テレビ番組やニュースを事細かにチェックし、意に沿わない内容には頻繁に抗議しました。テレビ局は自粛ムードに覆われていました。 私自身、テレビ番組で政権の政策について客観的な解説をすると、すぐに政府から「ご説明に上がりたい」と連絡が来ました。決して訂正しろというわけではありません。政府の立場を説明したいというだけですが、結局は政権寄りの解説をしてほしいという意図でしょう。 こうした働きかけを繰り返し受けていると、いやおうなしに表現に気をつけるようになります。ずっと続けていれば、何も言われなくても、はじめから面倒なことにならないよう忖度した内容の番組ばかりになってしまうでしょう。 政府からの働きかけの総仕上げが、高市早苗大臣の「停波」発言です。メディアは権力を監視するという機能を失い、監視され、管理され、利用される側になりかねません。