『ホワイトバード はじまりのワンダー』、大空に鳥は羽ばたく【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.67】
この映画は入りがいいですね。ニューヨークの高校にジュリアンという少年が転校したところから始まります。新入りはどのグループとつるむかで、いわゆる「スクールカースト」が決まるらしいんですね。ジュリアンは態度を保留したまま、初日を終えて家に帰ってくる。と、そこにパリ在住のおばあちゃんがいるんです。おばあちゃんの名前はサラ。メトロポリタン美術館で回顧展が企画されるような高名な画家です。サラはジュリアンに新しい学校のことを訊く。ジュリアンはちょっとごまかした感じのことを言うんですね。ジュリアンはある少年をいじめて、前の学校を退学処分になったのでした。彼はそこから「他人の人生に深入りしないこと」を学んだとうそぶきます。深入りせず、普通に接するようにすると。 サラは一瞬、顔を曇らせ「学んだのはそれだけ?」と問います。そして意を決して「今はあなたのために話すべきね」と自らの苦難に満ちた少女時代を語りはじめます。ここまでが導入です。物語はナチス占領下のフランス、オー・ベルヴィリエ・オ・ボアという名の田舎町で始まります。マルジュリッド山脈の近く、メルニュイ(古代林)に囲まれた自然豊かな土地です。そんな田舎町にもナチスドイツの暗い影は否応なく押し寄せるんですね。ある日、少女サラはお店に貼られた「ユダヤ人お断り」の文言に驚きます。サラ一家は(もちろん国籍はフランスですが)ユダヤ人家族でした。最初はサラのお父さんも自由、平等のフランスが揺らぐはずがないと安心しきっていたのです。 ところが学校の空気が変わりだします。面と向かって「ユダヤ人!」という言葉を投げてくる級友が出現する。町の雰囲気もユダヤ人排斥に一変します。やがてナチスによる「一斉検挙」の日が来て、サラの家族はちりぢりになってしまう。サラを助け、かくまってくれたのは「トゥルトー(蟹)」とアダ名をつけられ、からかわれていた足の不自由な少年ジュリアンでした。彼はポリオの後遺症で麻痺があるんですね。ジュリアンは実はずっとサラに思いを寄せていました。サラはそのことに気づいていなかった。 ジュリアンの家族はサラをかくまいます。どうやらサラの両親は収容所へ送られたらしい。天涯孤独となったサラをパルチザン仲間の手引きでスイスへ逃がそうとするが、うまくいかない。で、サラは納屋で暗い戦中を過ごすことになる。状況は最悪です。サラはかけがえのない青春の日々を失ってしまう。どこへも行けない。誰にも会えない。 だけど、この映画の最も美しい場面は「納屋で過ごす時間」なんですね。サラとジュリアンは納屋に置かれたおんぼろトラックのシートに腰かけ、空想の旅をする。2人はパリへ行って、サンジェルマン広場を見、エッフェル塔を見ます。ニューヨークへ行って、摩天楼を見上げます。心の目で思い描くのです。この映画の主題のひとつ、「現実には限界があるが、空想の世界は果てしない」がとてつもなく甘美な映像で描かれます。 少女サラの物語はまだ続くのですが、ここでご紹介するのは控えましょう。大事なことは自由に大空を飛ぶ「ホワイトバード(白い鳥)」に自らの未来を託した少女が過酷な運命を生き抜き、今、老境を迎えているということです。ニューヨークの自宅でサラの長い話を聞き終えた少年はもちろん、自分の名前がなぜ「ジュリアン」と名づけられたかを知ります。「ジュリアン」はこの上なく優しかったサラの命の恩人であり、空想の旅人の名前でした。 転校生ジュリアンは次の日から行動を変えます。僕はここがとても気に入りました。いじめをした悪い生徒も決して阻害されない。変わることができる。やってしまったことは消えないけれど、新しく生きられる。 この映画の邦題は『ホワイトバード はじまりのワンダー』ですよね。原題は『ホワイトバード』ですから、「はじまりのワンダー」部分は日本版のスタッフが付け足したものです。実はこの作品はベストセラーであり、大ヒット映画でもあった『ワンダー 君は太陽』(17)の続編になってるんです。僕は飯田橋ギンレイホールで『ワンダー 君は太陽』を見ていますが、今回、冒頭のジュリアンを見て、おお、確かにあのときのいじめっ子だ、大きくなったなぁと感じ入った。あの作品の主題も「想像力」でした。違う立場の相手を思いやり、深く知ること。スタッフは続編を作ることで、あのときの悪童ジュリアンに新しく生きるチャンスをあげたんだと思います。 あ、『ホワイトバード はじまりのワンダー』は単体で完結した物語だから、前のを見てなくてもぜんぜん平気ですよ。とても美しく、勇気を与えてくれる物語です。断然、おススメしたい。 ただひとつ願わくば、ということで蛇足を言わせてくださいな。ユダヤ人少女の苦難の物語に心震わせる一方で、現在のイスラエルのパレスチナ侵攻にも胸締めつけられる自分がいます。どう考えても平仄(ひょうそく)があわないんですよ。「20世紀の悲劇を経験したユダヤ人」と「圧倒的な兵力で殲滅戦を行うイスラエル」。願わくば「違う立場の相手を思いやり、深く知る」はじまりのワンダーが発揮されないものでしょうか。このままだと『ライフ・イズ・ビューティフル』(97)も『シンドラーのリスト』(93)も昔のようには見られなくなりそうです。 文:えのきどいちろう 1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido 『ホワイトバード はじまりのワンダー』 12月6日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー 配給:キノフィルムズ © 2024 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC. All Rights Reserved.
えのきどいちろう