新型コロナで経営破綻の温泉旅館 「インバウンド頼み」の大きな副作用
もはや冨士見荘になすすべはなかった
冨士見荘の伊藤社長も、そんな中国人観光客に活路を見出した一人だった。そして、政府の方針も大きな後押しになった。 伊藤社長が経営を引き継いだ翌年の2014年、政府は「2020年に向けて、訪日外国人旅行者数2000万人の高みを目指す」と目標を掲げた。そして実際に訪日外国人旅行者は増加の一途をたどる。2012年は約836万人だったが、4年後の2016年には早くも目標を上回る約2404万人を達成。その過程で、中国が国別訪日外国人旅行者数のトップになっていた。 効果は絶大だった。冨士見荘は、観光地のどんな旅館やホテルでも悩みの種とされる、閑散期での平日の稼働率上昇の難題すら乗り越えた。蒲郡商工会議所の関係者は「勢いを取り戻した冨士見荘にならい、活気を取り戻したい蒲郡市内のその他の旅館も多くが追随した」と話す。 ところが、一見、特効薬のように思われた「インバウンド頼み」「中国人観光客頼み」には大きな副作用があった。それが、今回の中国を震源とする「コロナショック」で明らかになった。 新型コロナウイルスの問題が大きくなるにつれて、中国人客は減少。中国政府が1月27日から海外への団体旅行を事実上禁止する。本来であれば、1月25日の春節（旧正月）を挟んだ大型連休は、多くの中国人が海外旅行を計画する時期のはずだった。 中国人観光客、しかも団体客だけが頼みの綱だった冨士見荘に、もはやなすすべはなかった。
冨士見荘の経営破綻は何を伝えているのか
苦境の中にあっても、団体ツアーの中国人観光客に頼らないことを選んだ旅館もある。西浦温泉と同じ蒲郡市内にある「三谷温泉」の「明山荘」は、外国人観光客の来館は月にバス1台程度。インバウンドへの依存度は低い。 明山荘で営業を担当する従業員は「日本人観光客を獲得するための営業活動を粘り強く続けています。特に、海なし県の山梨県や長野県、岐阜県に幾度となく出向きます。関西方面であれば、奈良県や滋賀県。海にあこがれを持った人が、うちの旅館の窓から大海原を望み、海の幸に舌鼓を打つ。宿泊客からの評価も高く、再訪客も多い。一朝一夕にこうした成果が生まれたわけではない」と胸を張る。 ただ、冨士見荘をはじめ、インバウンドにシフトした旅館を単なる営業努力不足で片付けていいのだろうか。 「めざせ！観光先進国。すなわち、全国津々浦々その土地ごとに、日常的に外国人旅行者をもてなし、我が国を舞台とした活発な異文化交流が育まれる、真に世界へ開かれた国」 「そこでは、次々と新たなサービスの創造やイノベーションが起こり、地域の産業・経済の足腰が強化されるといった好循環が創出される」 「観光は、真に我が国の成長戦略と地方創生の大きな柱である」 今から4年前の2016年3月末に、安倍晋三首相が議長を務める「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が策定した「明日の日本を支える観光ビジョン」に書かれた文章の数々だ。このビジョンでは、新たな目標として、訪日外国人旅行者数を2020年に4000万人（2015年の約2倍）、2030年に6000万人とすることを掲げている。 そして、冨士見荘のニュースが出てから1週間余りがたった3月5日。新型コロナウイルスの感染拡大への対策とはいえ、政府は一転して、2019年の訪日外国人旅行者数で国別1位の中国（香港・マカオを含む）、2位の韓国からの入国制限強化に踏み切った。 これまで、あたかも日本再生の特効薬であるかのように「観光立国」や「インバウンド」という言葉が使われてきた。確かに昨年までを見ると、数字の上では、訪日外国人旅行者数は増え、経済的な効果も大きかった。しかし、無名の温泉旅館の経営破綻は、それが特効薬なんかではなく、使い方を少し間違えただけで大きな副作用に見舞われる劇薬であることを示唆しているのではないだろうか。 新型コロナウイルスに今のところ特効薬がないように、日本が抱える課題を一気に解決できるような特効薬などない。 （坂勇人／nameken）
